2020-02-19 Wed 00:47
きょう(19日)は、ポーランドの天文学者で地動説を提唱したニコラウス・コペルニクスの誕生日(1473年2月19日)にちなむ“天地の日”です。というわけで、コペルニクス関連のマテリアルの中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1943年11月25日、ドイツ占領下のポーランド東中部のマゾフシェ県グロジスク郡ポトコバ・レシナから、ビルケナウの女性収容所の収容者で看護師としても働かされていたマリア・ザクシェフスカ宛の葉書で、印面には、クラクフのランドマークの一つ、ヤギェウォ大学構内のコペルニクス像が描かれています。 アウシュヴィッツ第1および第2収容所の収容者宛の郵便物は、収容者の名前・誕生日・収容者番号・収容棟番号を記し、アウシュヴィッツ2郵便局宛に送られました。 収用所に到着した郵便物は、まず、収容所当局によって、名宛人が収容所にいるか否か、1ヶ月に2通という受取可能な通数の制限内に収まっているか否か、その他の規則に違反していないかをチェックしたうえで、内容の検閲を受け、収容者に渡されるという段取りになっていました。今回ご紹介の葉書も、そうしたプロセスを経て、名宛人のマリア・ザクシェフスカに届けられました。 ザクシェフスカは1910年生まれで、ワルシャワの第1陸軍病院で看護師としてのキャリアをスタートさせています。 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランド侵攻を開始すると、ワルシャワ北方50キロの地点にあるモドリン要塞での攻防戦に野戦病院の看護師として参加。16日間に及ぶ激戦の末、9月29日に同要塞が陥落すると、レジスタンスのゲリラ部隊に加わり、1940年以降はワルシャワの地下組織で衛生看護兵の訓練を行う教官となりました。 1942年、ドイツ側に逮捕され、ワルシャワ中心部にあった政治犯の拘禁施設、パイヴァク刑務所に収監されましたが、その後、アウシュヴィッツに収容者として移送され、1945年1月の収容所解放まで、所内の病院で看護師として働いました。戦後はワルシャワの第1陸軍病院に復職し、1977年、ナイチンゲール記章を授与されました。 なお、彼女はレジスタンスの活動家として逮捕された際、経歴などを偽装していたことから、実際には1910年生まれであるにもかかわらず、収容所の記録上は1907年8月15日生まれとなっており、葉書にもそのデータが記されています。 ちなみに、アウシュヴィッツとその郵便物については、拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 文化放送「おはよう寺ちゃん 活動中」 出演します!★ 2月21日(金)05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時のスタートですが、僕の出番は6時台になります。皆様、よろしくお願いします。 ★★ イベント・講座等のご案内 ★★ 今後の各種イベント・講座等のご案内です。詳細については、イベント名・講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 3/3(1回のみのお試し受講も可) ★★ 内藤陽介の最新刊 『日韓基本条約』 ★★ 本体2000円+税 出版社からのコメント 混迷する日韓関係、その原点をあらためて読み直す! 丁寧に読むといろいろ々発見があります。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
|
||
管理者だけに閲覧 | ||
|
| 郵便学者・内藤陽介のブログ |
|