2007-09-27 Thu 12:08
(財)日本郵趣協会発行の『郵趣』2007年10月号ができあがりました。『郵趣』では、毎月、表紙に“名品”と評判の高い切手を取り上げ、僕が簡単な解説文をつけていますが、今月は、こんなモノを取り上げました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1845年に連邦成立以前のスイス・バーゼルで発行された切手で、“バーゼルのハト”と呼ばれている1点です。 スイス・ドイツ・フランス三国の国境地域に位置するライン河畔の都市、バーゼルは、古代ローマ時代に起源を持つ古い都市で、中欧の商業・交通の中心地として栄えていました。 1648年、ウェストファリア条約(ヨーロッパのほぼ全域を巻き込んだ宗教戦争、30年戦争の講和条約)により、神聖ローマ帝国からの独立を認められた当初のスイスは、統一国家というよりも、独立性の高いカントン(州)の連合体という性質の強いものでした。ちなみに、現在の連邦国家体制が確立するのは、1874年の連邦憲法が採択されてから後のことです。 そうしたスイス連邦を構成するカントンの一つであったバーゼルでは、1842年、独自の近代郵便制度の導入が検討されはじめました。そして、その料金徴収のシステムとして、イギリスのペニーブラックにならった“支払票(etiquettes-franco)”を発行することとなり、1844年1月までに、重さ1ロット(=15.5グラム)以下の郵便物に対して1クロイツェル(=21/2ラッペン)を、それ以上の郵便物に対しては2クロイツェルを、それぞれ徴収するために切手を発行するという方針が決まります。 切手のデザインは建築家のメルキオール・ベリが担当しました。ベリは、デザインの中心に、手紙をくわえた白いハトを据え、その周囲を深紅の盾形で囲みました。“バーゼルのハト”の名の由来です。よく誤解されるのですが、このハトはバーゼルの紋章ではなく、通信の象徴として取り上げられたものです。ちなみに、バーゼルの紋章は、盾の中央上部、窪みの部分に描かれています。 バーゼル市内郵便(STADT POST BASEL)の表示は、盾の下部を囲むように黒色で記され、4隅は薄青で彩色されています。額面の21/2Rp.は、その薄青をバックに切手の下部に入れられました。 切手の周囲は、横18.5ミリ、縦20ミリの枠で囲まれています。この枠は、黒色の細い線が深紅の太い線を挟むスタイルになっていますが、一番外側の黒色の線まで完璧に残っているものはなかなかありません。切手の印刷は銅版を用いた凹版印刷で行われ、エンボス部分はフランクフルトのベンジャミン・クレブスが担当し、1845年に522シートが、1847年に515シートが作られました。1シートは日本の手彫切手と同じく横8x縦5の40面ですから、4万1480枚が製造された勘定になります。 切手の発行は、1845年7月1日のことで、これは、スイスのカントンの中では、チューリッヒ、ジュネーヴについで3番目、ペニーブラックから数えると5番目(1843年にブラジルが“牛の目”を発行している)のことでした。 その後、1850年にスイス連邦統一の切手が発行されると、バーゼルでもこの切手が用いられるようになり、1852年には“バーゼルのハト”の印刷用の原版は破棄されました。そして、1854年9月末日で、“バーゼルのハト”を含むスイスのカントン切手はすべて使用禁止となりました。ちなみに、ベルンにあるスイス郵政博物館には、この切手の現存する最大のマルティプルである3x5の15枚ブロックが収蔵されています。 さて、今月号の『郵趣』では、<JAPEX>の事前予告として特別出品の“マーチン切手40周年”を巻頭特集で取り上げました。このほかにも、同じく<JAPEX>の事前予告として、英国王ジョージ5世の即位25周年を記念して全世界の英領で発行された1935年のジュビリー・イッシュー(たとえばこれもその1枚です)やボーイスカウト100周年の特集や戦後記念切手の試作品がテンコ盛りのサマーペックス・特別展示“なつかしの昭和”CD-ROMのご紹介など、カラー特集は盛りだくさんの内容となっていますので、機会がありましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。 |
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