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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アラブの都市の物語:バスラ
2007-09-21 Fri 03:25
 NHKのアラビア語会話のテキスト10・11月号が出来上がってきました。僕の担当している連載「切手に見るアラブの都市の物語」では、今回は、イラク第2の都市、バスラを取り上げました。その記事に使ったものの中から、今日は、こんなモノをお見せしましょう。(画像はクリックで拡大されます)

バスラのカバー

 これは、第1次大戦中、バスラを占領した英印軍の野戦郵便局からミラノ経由でジュネーブ宛に差し出された書留便です。書留ラベルにはしっかりと“BASRA BASE”の文字が入っているます。また、貼られている切手は、インド切手にIEFの文字を加刷したインド遠征軍用のものです。

 イラク南部の港湾都市であるバスラは、第1次大戦以前はオスマン帝国の支配下にありました。

 列強の世界分割が進む中で、ベルリン・ビザンティウム(イスタンブール)・バグダードの3B政策を展開していたドイツは、イスタンブールとバグダードを結ぶ鉄道建設を進めましたが、各国は、いずれその路線がバスラまで延長され、ペルシャ湾へと繋がるものと考えていました。このため、インド防衛の観点から両国の進出を警戒したイギリスは、1899年、バスラに隣接するクウェートの支配者であったサバーフ家との間に、オスマン帝国の頭越しにクウェートを保護国とする条約を調印。さらに、第一次大戦が勃発すると、英印軍がバスラに上陸してこの地を占領しています。

 その後、イギリスの占領下でバスラは補給基地としてインフラ整備が進められ、1917年には近代港湾施設が築港されます。その結果、大戦後、イギリスの委任統治領時代を経て親英政権のイラク王国として独立すると、バスラは同国随一の貿易港として発展していくことになりました。

 今回の「切手に見るアラブの都市の物語」では、西暦7世紀に軍営都市としてバスラが建設されてから、イラク戦争後、この地に駐留していたイギリス軍の縮小・撤退が論議されている現在までのバスラの歴史をご紹介しています。ご興味をお持ちの方は、是非、現在発売中のNHKアラビア語会話のテキストをお手にとってご覧いただけると幸いです。
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