2009-09-25 Fri 12:40
きょう(25日)から東京・六本木の国立新美術館でTHEハプスブルク(ハプスブルク展)がスタートします。というわけで、きょうはこの1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1850年に発行されたオーストリア最初の切手のうちの6クロイツァー切手で、クローンシュタット(現ルーマニア領ブラショフ)の消印が押されています。ハプスブルク家の紋章が消印の文字の隙間に収まっていてハッキリと見えるので、持ってきました。 首都ブカレストに次ぐルーマニア第2の都市、ブラショフの歴史は12世紀初にハンガリー王グーザ2世がザクセン人(ドイツ人)を入植させたことに始まります。この地のドイツ語名が、国王から与えられた都市ということで、英語のクラウン・シティに相当する“クローンシュタット”となっているのはこのためです。 その後、1211年にはハンガリー王エンドレ2世の招きに応じて、国境防衛のためにテュートン騎士団(ドイツ騎士団)が“森の彼方の地方”すなわちトランシルヴァニアのブルツェンラント(これが、現在のブラショフ県の範囲にほぼ相当する)を所領として与えられましたが、“クローンシュタット”はその中心都市となりました。 オスマン帝国との抗争を経て、1691年、トランシルヴァニアはハプスブルクの支配下に入ります。ハプスブルク体制の下、クローンシュタットの中心部は基本的にザクセン人の居住地とされ、人口の多数を占めるルーマニア人は城壁の外側に放逐されていました。彼らは城壁内に住むことを許されず、商売などのために城壁の内側の街区に入るには、特別の許可を得たうえで、城門のところで入場料を支払わなければなりませんでした。 1850年の時点でも、クローンシュタットはオーストリアの支配下にありましたから、オーストリア切手が使われ、ドイツ語による地名表示の消印が使われていました。その後、1867年にオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立すると、トランシルヴァニアはハンガリーの支配下に置かれ、ハンガリー切手が使用され、ハンガリー語の消印が使用されるようになります。これに伴い、消印の地名表示も“ブラッソ”と変更されました。 第一次大戦後、戦勝国となったルーマニアは、ようやく、ルーマニア人が多数を占めるトランシルヴァニアを自国の領土に編入します。それに伴い、クローンシュタットないしはブラッソと呼ばれていたこの地も、ルーマニア語の“ブラショフ”が正式名称となり、ブラショフ表示の消印が使われるようになりました。 さて、今年はチャウシェスクの処刑で全世界に衝撃を与えたルーマニアの民主革命から20周年にあたります。これにあわせて、11月には、彩流社の“切手紀行シリーズ”の第2弾として、ルーマニアを舞台とした拙著『トランシルヴァニア/モルダヴィア歴史紀行』(仮題)を刊行する予定です。すでに、原稿はすべて書きあがっており、現在は編集作業中ですが、発売日や定価などが決まりましたら、逐次、このブログでもご案内してまいりますので、どうかよろしくお願いします。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 異色の仏像ガイド決定版 全国書店・インターネット書店(アマゾン、bk1、7&Yなど)・切手商・ミュージアムショップ(切手の博物館・ていぱーく)などで好評発売中! 『切手が伝える仏像:意匠と歴史』 彩流社(2000円+税) 300点以上の切手を使って仏像をオールカラー・ビジュアル解説 仏像を観る愉しみを広げ、仏教の流れもよくわかる! |
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