2019-08-23 Fri 08:25
きょう(23日)は、1939年8月23日に独ソ不可侵条約(に付随する東欧分割の密約)が調印されたことにちなみ、2009年に欧州議会が制定した“スターリニズムとナチズムの犠牲者追悼の日”です。というわけで、この切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1939年9月17日、独ソ不可侵条約の密約に基づき、ソ連が“ウクライナ系・ベラルーシ系市民の保護”を口実にポーランド東部国境から侵攻を開始し、ポーランド東部を占領したことを記念して、1940年4月に発行した“(ポーランドの)西ウクライナおよび西ベラルーシ人民の解放”の切手です。 1935年にヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄して再軍備を宣言したドイツは、1936年3月にはヴェルサイユ条約で軍隊の駐留が禁止されていたラインラント地方に軍隊を進駐させたのを皮切りに、1938年3月にはオーストリアを併合。 同年9月にはミュンヘン会談でチェコスロヴァキアのズデーテンラントの獲得を英仏に呑ませ、翌1939年3月にはプラハを占領してチェコを保護国とし、リトアニアからメーメル地方を割譲させました。 一方、ソ連はドイツの東方侵出を警戒し、英仏との提携を模索していましたが、ミュンヘン会談の結果、英仏がドイツに妥協したことで英仏への不信感を強めます。さらに、1939年5月、極東でノモンハン事件が発生したことで、ソ連にはドイツとの衝突は避ける必要が生じました。 これに対して、次のターゲットとしてポーランドを狙っていたドイツも、英仏との戦争を想定し、ソ連との戦争を回避する必要があったため、結果的に両者の思惑が一致。こうして、極秘交渉の末に、1939年8月23日、独ソ不可侵条約が調印されます。 独ソ不可侵条約には、東欧をドイツとソ連の勢力圏に分割するという秘密議定書がついており、ナレフ川=ヴィスワ川=サン川を境界として両国でポーランドを分割すること、バルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)およびルーマニア領ベッサラビアはソ連が併合し、フィンランドをソ連の勢力圏とすることが謳われていました。 これに従い、1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドに侵攻すると、同17日、ソ連軍は“ウクライナ系・ベラルーシ系市民の保護”を口実にポーランド東部国境から侵攻を開始。独ソ両軍は衝突することもなく、秘密議定書の分割線に従って占領域を確定させ、9月28日には独ソ不可侵条約を前進させたドイツ・ソビエト境界友好条約が締結されます。ちなみに、ドイツ軍のポーランド侵攻に対してドイツに宣戦布告した英仏ですが、同じくポーランドに侵攻したソ連に対しては宣戦布告をしませんでした。 ★★ イベントのご案内 ★★ ・インド太平洋研究会 第3回オフラインセミナー 9月28日(土) 15:30~ 於・イオンコンパス東京八重洲会議室 内藤は、17:00から2時間ほど、“インド太平洋”について、郵便学的手法で読み解くお話をする予定です。 参加費など詳細は、こちらをご覧ください。 ★★ 講座のご案内 ★★ 武蔵野大学生涯学習秋講座で、以下の講座をやりますので、よろしくお願いします。(詳細は講座名をクリックしてご覧ください) ・2019年10月13日(日) 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 全7回) ・2019年10月31日 ー11月21日 (毎週木曜・4回) 切手と浮世絵 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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