今日は午前中までにNHKのアラビア語講座のテキストで連載している「アラブの都市の物語」の原稿を仕上げて編集部に送りました。
NHKのアラビア語講座の年間スケジュールは若干変則的で、4~9月はラジオでの放送、10~3月はテレビでの放送となっており、隔月刊のテキストもそれにあわせて模様替えし、僕の連載も移動します。
今回、送ったのは9月18日までに発売の10・11月号で、7月23日に大規模なテロが起こったことで話題になったシャルム・シェイクを取り上げました。
シャルム・シェイクは、紅海につながるアカバ湾の出口、チラン海峡の対岸にあるシナイ半島の東南端の観光地です。20世紀前半まではひなびた漁村でしたが、イスラエルが建国されると、同国と紅海・インド洋を結ぶチラン海峡の要衝として脚光を浴びるようになります。
1967年の第3次中東戦争でシナイ半島全域を占領したイスラエルは、この地の開発を進めましたが、なかでも、紅海の自然を活かしたマリン・リゾートとしての観光開発に力を注ぎます。砂漠に囲まれた紅海は河川が流れ込まないことから水がとても綺麗で海洋生物も豊富です。ここに目をつけたイスラエルは、シャルム・シェイクを、紅海沿岸の代表的なリゾート地として育成することにしたのでした。
その後、シャルム・シェイクを含むシナイ半島は、1982年、エジプトに全面返還されますが、エジプト政府のイスラエル時代の観光開発政策を引き継ぎ、現在では、シャルム・シェイクはエジプトのみならずアラブ世界でも有数のリゾート地として多くの観光客を集めています。
ここでご紹介しているのは、2002年、“シナイ半島解放20年”を記念して発行された切手ですが、そのデザインとしては、マリン・リゾートとしてのシャルム・シェイクを宣伝するものとなっており、かつての対イスラエル戦争を想起させる要素はありません。(ダイバーやウィンド・サーフィンを楽む人がイスラエル人だという可能性も否定はできませんが…)
現在のエジプト政府にとっては、パレスチナ解放というアラブの大義よりも、まずは、外国人観光客を誘致して外貨を稼ぎ、経済状況を好転させることが優先、ということなのでしょうか。政府のそうした姿勢が、いわゆるイスラム原理主義者たちの反感を招き、外国人の多いシャルム・シェイクがテロで狙われたという面は否定できません。もっとも、テロの犠牲者は、大半が外国人ではなくエジプト人だったこと、また、主要産業である観光に大きな打撃を与えたことなどから、エジプト社会では、政府に対する不満とは別に、今回のテロ事件の犯人たちに対する厳しい処罰を望む声が大きいのも当然といえましょう。
それはともかく、メディアとしての切手というと、どうしても、『反米の世界史 』のなかでご紹介したようなどぎつい政治宣伝のモノを連想しがちですが、切手がこういうかたちで自国の観光資源をアピールする役割こともあるのだ、ということは頭の片隅にとどめておいても良いかもしれません。