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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 表紙の切手
2012-11-10 Sat 17:39
 きょう(10日)は、拙著『喜望峰』の奥付上の刊行日です。というわけで、プロフィール画像にも使っている表紙カバーの下段で取り上げた切手についてご説明しましょう。なお、上段の絵葉書につきましてはこちらをご参照ください。(画像はクリックで拡大されます)

         喜望峰発見500年(ポルトガル)

 これは、1988年にポルトガルで発行された喜望峰発見500年の記念切手で、4種連刷でリスボンからケープまでの航海のイメージが表現されています。

 1486年、バルトロメウ・ディアスは、ポルトガル国王ジョアン2世から、アジアにいたる交易路を確保するとともに、アフリカにあるキリスト教徒の王、プレスター・ジョンの国を探し出し、友好関係を樹立せよとの命を受け、準備期間の後、1487年10月、ポルトガル艦隊を率いてリスボンを出港しました。

 ディアスの船団は、まずコンゴ川の河口に向かい、そこから南下して、ウォルヴィス・ベイ(現ナミビア領)に入港。さらに南下してポート・ノロス(現南ア領)付近に達しましたが、嵐に遭遇し、沖に流されてしまいます。このため、陸地に近づこうと東へ向かったのですが、陸地に到達できなかったため、北上してみると西側に陸地が見えたと伝えられています。彼らは、漂流しているうちに、いつの間にかアフリカの南端を通過していたというわけです。

 その後、彼らは1488年2月3日にモッセル・ベイに上陸。これが、後の歴史書に「ディアスのアフリカ南端到達」として記されることになる出来事となりました。ちなみに、モッセル・ベイという地名は、1601年にこの地に上陸したオランダ人航海士が、ムール貝(=mussel)が大量にとれることから命名したもので、ディアスとは直接の関係はありません。

 さらに、一行は海岸沿いにアガラス岬をまわり、このまま航海を進めればインドに到達できるとの見通しが立ったことで帰路につき、その途中で1488年5月に喜望峰を“発見”。同年末、リスボンに帰還しました。今回ご紹介の切手は、それから500年にあたることを記念して発行されたものです。

 なお、当初、ディアスはリスボンへの帰途で発見した岬を“嵐の岬”と命名して国王ジョアン2世に報告しましたが、国王は、アフリカ南端を廻って東方への航路を拓いたことをいたく喜び、“喜望峰”と改名させました。この改名が結果的に大成功だったことは、実際のアフリカ大陸最南端のアガラス岬よりも、喜望峰=アフリカ南端の地というメージが人々の間に深く浸透していることからも明らかだったといえましょう。

 さて、本日午前中、全国切手展<JAPEX>会場内で行った拙著『喜望峰』の出版記念トークは無事終了いたしました。ご来場いただきました皆様には、この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

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