2020-12-03 Thu 02:11
香港の裁判所は、きのう(2日)、昨年(2019年)の「逃亡犯条例」改正案などをめぐる抗議活動に関して、民主活動家の黄之鋒(ジョシュア・ウォン)氏と林朗彦(アイバン・ラム)氏に禁錮1年1カ月半、周庭(アグネス・チョウ)氏に禁錮10カ月の実刑判決を言い渡しました。“民主の女神”とも称される周氏が実刑判決を受けたのは、今回が初めてです。というわけで、周氏が一日も早く釈放され、自宅に戻れるよう祈って、彼女の自宅がある大埔にちなんで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
1999年に発行された香港の普通切手“新風景シリーズ”は、その名の通り、香港各地の名所を取り上げたものですが、切手の発行時にはシリーズのうち5ドル以下の切手を1枚収め、余白に実物の写真を配したシートを束ねた切手帖が発行されています。今回ご紹介しているのは、そのうちの1ドル40セント切手のページで、大埔の香港鐡路博物館が取り上げられています。 新界地区の東北に位置する大埔は、古くは猛獣の住む土地として、ここを通る人々が大股で走り抜けたことから“大歩”と呼ばれていました。 後漢から清代までは付近で真珠が採取されていましたが清代の1672年、鄧氏が港湾施設を建設したことから、アヘン戦争で香港島が英国に割譲されるまで、この地域の海上交通の拠点となり、潮州や汕頭からの船が往来していました。 1899年に新界地区を租借した英国は、1907年、新九龍と新界、周辺の小島を管轄する行政機関として大埔に理民府を設けます。理民府は、土地の測量や住民間の紛争調停、地方の治安維持などを主に担当し、1910年に大埔、沙田、上粉沙打(上水、粉嶺、沙頭角、打鼓嶺をあわせた地域。北區)、西貢、元朗、青山(屯門)を管轄する北約理民府と、新九龍、荃灣ならびに周辺の小島を管轄する南約理民府に分割されました。 1910年に紅磡と羅湖を結ぶ九廣鐵路(現・東鐵綫)が開業すると、植民地当局は大河市の近くに駅を建設し、“大埔墟站(駅)”と命名。1913年には切手に描かれた駅舎も完成します。その後、国共内戦下での難民の流入など、中国との国境が緊張してきたことを踏まえ、1947年、植民地当局は北約理民府を元朗理民府(元朗と青山を管轄)と大埔理民府(大埔、沙田、上粉沙打、西貢を管轄)に分割し、情報収集や香港駐留軍との連携などの業務を拡充したうえで、1948年、これらの各理民府を統括する行政機構として、新界民政署が設けられました。 1983年、現在の大埔墟站が完成すると、旧駅は鉄道駅としては廃止されましたが、駅舎は1984年に法定古跡に指定され、1985年、九廣鉄路の資料を展示する香港鐡路博物館としてリニューアルオープンし、現在にいたっています。 さて、香港警察は、昨年(2019年)8月、周氏ら3人を無許可でデモを行い大衆を扇動した容疑で逮捕されましたが、9月に保釈。その後、3人とも前回公判までに有罪判決を受け、11月23日の公判では保釈継続が認められずに拘置所に即時勾留され、今回の有罪判決となりました。 この間の今年(2020年)8月10日、周氏らは、民主派の香港紙「蘋果日報」などを発行するメディアグループの創業者、黎智英氏や同紙幹部らとともに、周氏を香港国家安全維持法(国安法)違反容疑で逮捕され、起訴されています。周氏の国安法での逮捕容疑は「外国勢力と結託した疑いがある」というもので、同法の最高刑は無期懲役。当局はこの事件でも周氏の起訴を目指して捜査を続けています。 くしくも、きょう(3日)は、1996年12月3日生まれの周氏の24歳の誕生日。あらためて、中国の人権抑圧体制に抗議するとともに、“良心の囚人”となった彼女が一日も早く自由の身となりますよう、お祈りしております。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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