2019-04-14 Sun 01:30
きょう(14日)は、インドシナ諸国では伝統的な暦で新年にあたります。というわけで、カンボジアの“クメール正月”に関する切手の中から、この1枚です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1960年にカンボジアで発行された“ボン・スロン・タック・プレア(クメール正月の水かけの儀式)”の切手です。 カンボジアを含むインドシナ諸国では、もともと、春に太陽が白羊宮に入る日をもって新年のスタートとしていました。当然のことながら、その日附はグレゴリオ暦では年により異なるのですが、現在では、4月14日が伝統的な暦の新年として固定されています。 カンボジアのクメール正月の期間は、4月14-16日の3日間で、初日の14日(モハサンカラン)は、新旧の神が交代する日で、人々は身を清め、お盆の上に花や果やお菓子を載せて家の前に置き、寺院に参拝します。2日目の15日(ヴィラク・ワンナバット)は、貧しい人や体の不自由な人に施しを行う日で、3日目の16日(ヴィラク・ルンサク)に水かけの儀式が行われます。 水かけの儀式では、まず、敬意を込めて仏像にお清めの水を、ついで、白いベビーパウダーまでふりかけます。その後、参加者は、今度は一列に並んだ僧に1人ずつ水をかけます。僧への水かけが終わると、今度は僧が読経しながら人々へ水をふりかけ、人々は合掌して祈りながら水をかけてもらうのが伝統的な段取りです。ただし、現在では、そうした寺院での儀式とは別に、街中で旅行者を含めて互いに水を掛け合うイベントも盛んに行われています。 本来、在家の信者が僧に水をかける際には、履き物を脱いで裸足になるのがマナーなのですが、今回ご紹介の切手では、僧に水をかけているのが、傘をさす侍従を従えたコサマック王妃(シソワット・コサマック・ニヤリリヤット)であるため、例外的に靴を履いた姿となっています。 シソワット・コサマック・ニヤリリヤットは、1904年、シソワット・モニヴォン王の娘としてプノンペンで生まれました。1920年、いとこのノロドム・スラマリットと結婚。1941年、父王の死後、息子のシハヌークが国王に即位しましたが、1953年のカンボジア独立を経て、1955年、シハヌークは政務に専念するために退位。このため、代わりにスラマリットが国王として即位したため、コサマックも王妃となります。 1960年、スラマリットが崩御すると、カンボジア国王は空位となり、シハヌークが新設の“国家元首”に就任。皇太后となったコサマックは国王の“象徴”として国王に準じる待遇を受けました。1970年、シハヌークの外遊中に発生して政変で王制が廃止され、シハヌークは北京に亡命した後も、彼女は王宮に留まっていました。しかし、1973年、彼女も北京に渡り、1975年、クメール・ルージュによるプノンペン陥落の直後、滞在先の北京で病死しました。 ★★★ メディア史研究会で発表します! ★★★ 4月20日(土) 14:00から、東京・水道橋の日本大学法学部三崎町キャンパス4号館地下1階 第4会議室A(地図はこちらをご覧ください)にて開催のメディア史研究会月例会にて、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』の内容を中心に、「メディアとしての“英雄的ゲリラ”」と題してお話しします。 なお、メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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