2010-03-26 Fri 22:04
『キュリオマガジン』2010年4月号が出来上がりました。僕の連載「郵便学者の世界漫郵記:マカオ篇」は、前回に引き続き、ペンニャの丘周辺を取り上げています。その記事の中から、今日は、こんなモノをもってきてみました。(以下、画像はクリックで拡大されます)
画像左は、1995年にマカオで発行された“廖文鴨の見たマカオ”の1枚で、南湾側から見たペンニャの丘(主教山)が取り上げられています。切手では丘の上の教会がシルエットしか見えていませんので、右側に、丘の下から丘の上の教会を見上げた写真を貼っておきましょう。 日本語でマカオと呼ばれている地域は、中国語では“澳門”と呼ばれるのが一般的ですが、これは、マカオ半島南側のペンニャの丘と北側のギアの丘のふたつの丘を門柱に見立て、その間にある“澳”(入江)という意味でつけられた名前です。 ペンニャの丘の頂にあるペンニャ教会は中国名で“西望洋主教会”もしくは“西望洋聖堂”とも呼ばれていますが、このうちの前者は、歴代の主教がこの教会に居住していたことに由来するものです。逆に、そこから、ペンニャの丘のことを“主教山”と呼ぶこともあります。 1602年に東インド会社を設立したオランダは、極東の拠点としてすでにポルトガル人が居住していたマカオを奪取すべく、しばしば海上封鎖や砲撃を行いました。そうした状況の中で、1622年、オランダの攻撃を逃れた船員と乗客が丘の上に最初の教会を建て、海の守り神としてのノートル・ダム・ド・フランスを祀ったのが、ペンニャ教会のルーツとなりました。現在の建物は、1837年の再建の後、1935年に大規模な修復工事を行ったものだそうです。 毎年5月13日、マカオではマリア像を載せた輿が聖ドミニコ教会からマカオ市内を約1時間半練り歩いてペンニャ教会まで運び込まれる“ファティマ聖母の行進”と呼ばれる祭礼が行われます。その出発地の聖ドミニコ教会は華やかで色鮮やかな建築ですが、ゴールにあたるペンニャ教会は堅牢でシンプルな美しさがあり、その対照の妙もまた、行列に参加した信徒たちの目を楽しませるものとなっています。 さて、ペンニャの丘とその教会は世界遺産ではありませんが、今回の記事では、周辺の世界遺産としてリラウ広場や鄭観応の旧宅などもご紹介しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 総項目数552 総ページ数2256 戦後記念切手の“読む事典”(全7巻) ついに完結! 『昭和終焉の時代』 日本郵趣出版 2700円(税込) 2001年のシリーズ第1巻『濫造濫発の時代』から9年。<解説・戦後記念切手>の最終巻となる第7巻は、1985年の「放送大学開学」から1988年の「世界人権宣言40周年年」まで、NTT発足や国鉄の分割民営化、青函トンネルならびに瀬戸大橋の開通など、昭和末期の重大な出来事にまつわる記念切手を含め、昭和最後の4年間の全記念・特殊切手を詳細に解説。さらに、巻末には、シリーズ全7巻で掲載の全記念特殊切手の発行データも採録。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、JBOOK、livedoor BOOKS、7&Y、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
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