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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 シモン・ボリバル・デー
2019-07-24 Wed 00:52
 きょう(24日)は、南米大陸のアンデス5ヵ国をスペインから独立に導き、ラテンアメリカ諸国では“解放者”と称されるシモン・ボリバル(ボリーバルとも)が1783年7月24日に生まれたことにちなむ“シモン・ボリバル・デー”です。というわけで、きょうはボリバル関連の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・エリセオ・レエス

 これは、2015年にキューバが発行した“サン・ルイス大尉ことエリセオ・レエス生誕75周年”の記念切手で、銃を構えるレエスの肖像と、右上には、チェ・ゲバラがボリビアで記した日記のオリジナル手稿のなかから、1941年にパブロ・ネルーダが発表した詩「ボリバルのための歌(Un canto para Bolívar)」を引用した部分の筆跡が配されています。

 エリセオ・レエスは、1940年4月27日、キューバ島南東部のサン・ルイスで生まれました。1956年、ゲバラとカストロがシエラ・マエストラ山中を拠点に革命戦争を始めるとこれに参加し、副官としてゲバラに仕えました。

 1959年の革命後もゲバラの側近として活動し、1965年10月3日、ゲバラのコンゴ動乱参加中にキューバ共産党が創設されると党中央委員に任命されましたが、1966年11月、ゲバラがボリビアに潜入してゲリラ戦を展開すると、これに加わり、1967年4月25日、ティクチャとイキラ川間のエル・メソンの戦闘で敵の待ち伏せを受けて戦死しました。

 ゲバラは彼の死を深く悲しみ、同日の日記には、「我々はゲリラ戦士の中で最高の男を喪った」と記すとともに、パブロ・ネルーダの詩、「ボリバルのための歌」の一節“Tu pequeño cadáver de capitán valiente ha extendido en lo inmenso su metálica forma (勇敢な大尉である君の小さな遺体は、無限の中にその金属的な姿を横たえたのだ)”を引用しています。今回ご紹介の切手では、右上に、ゲバラがボリビアで記していた日記の原本から、該当箇所の筆跡が取り上げられており、その下には“チェ”のサインが組み合わされています。

 ゲバラは高校時代にスペイン内戦をテーマにしたネルーダの詩に深い感銘を受け、以後、ネルーダの熱心な愛読者となりました。若き日の“モーター・サイクル・ダイアリーズ”の南米旅行やシエラ・マエストラ山中でのゲリラ闘争の際にも、常にネルーダの詩集を携行し、革命後は、ネルーダとの個人的な親交も結んでいます。

 そうしたネルーダとゲバラの関係については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でもご説明しておりますので、機械がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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      チェ・ゲバラとキューバ革命 表紙カバー 本体3900円+税
 
 【出版元より】
 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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