2021-01-25 Mon 00:29
エジプトのホスニ・ムバーラク政権を崩壊させた2011年の“1月25日革命”から10周年になりました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2014年1月25日にエジプトが発行した“1月25日革命3周年”の記念切手です。 2000年以降、エジプトのムバーラク政権は経済の自由化を進め、年間5-7%の経済成長率を維持していましたが、富の再分配が進まないまま物価は高騰。この結果、国民の格差は拡大し、20代の失業率は2割を越え、国民の約2割が1日2米ドル以下で、4割以上が1米ドル以下で生活するという状況が続いていました。さらに、1981年のサダト暗殺以来、29年間にわたって独裁体制を維持してきたムバーラク政権下では政府による言論の弾圧と腐敗が常態化していたことも、国民の不満を醸成していました。 こうした状況の中で、2011年1月14日、チュニジアでいわゆるジャスミン革命が発生。これに感化された人々がフェイスブックを使って、1月25日を“警察の日”ならぬ“怒りの日”にしようと呼びかけます。これは、前年(2010年)6月、アレクサンドリアの若者ハーリド・サイードが警官による押収麻薬の横流しをインターネットで告発しようとしたところ、警官の激しい暴行を受けて殺害された事件をふまえ、政権の腐敗に抗議しようというもので、1月25日当日にはエジプト各地で抗議行動や暴動が発生しました。これが、いわゆる“1月25日革命”の発端で、2月11日、ムバーラクは退陣に追い込まれます。 ムバーラク政権の崩壊後、エジプトでは国軍最高評議会による暫定統治期間を経て、民政移管に向けた準備が進められ、2011年11月28日から2012年1月3日まで3回に分けて行われた人民議会選挙ではイスラム教系の政党が7割を占めて圧勝。その後、5月23-24日に行われた大統領選挙では、イスラム穏健派のムハンマド・ムルシーが1位となったものの過半数の票を獲得できなかったため、6月16-17日、第1回投票で2位となった元首相のアフマド・シャフィークとの決選投票が行われ、ムルシーが当選。同月30日にムルシー政権が正式に発足しました。 しかし、すでに決選投票の時点で、イスラム系のムルシーと旧ムバーラク政権の幹部であったシャフィークの一騎打ちとなったことに不満を抱く者も多く、政権発足後もそうした国民の不満は解消されないまま、政権と野党との対話は進展せずに政治の空転が続き、エジプト経済は急速に悪化しました。 すなわち、エジプトの収入源はスエズ運河の通行料と観光が大きなウェイトを占めていますが、このうちの観光収入に関しては、革命後の混乱により外国人観光客が激減して大幅な減収となりました。そのこと自体は、かならずしもムルシー政権のみの責任とは言い切れないのですが、そうした経済的に苦境にある時こそ、イデオロギーとは無関係に有能な経済官僚ないしは専門家が大胆な対策を打ち出していかねばならないのはいうまでもありません。 ところが、ムルシーの出身母体であるムスリム同胞団は、それまで、貧困層の生活支援をボランティアとして組織的に行ってきた経験はあるものの、国家レベルでの経済運営の専門家は無きに等しい集団で、ムルシー政権は経済対策という点では無為無策に終始していました。その結果、失業者数は革命前から100万人以上増えて343万人(失業率は12%)にも達し、食料品も小麦が約28%、卵が約22%、牛乳や鶏肉が約15%値上がりするなど、国民生活は大きな打撃を受けます。 さらに、2012年12月にはムルシーが大統領に絶対的な権限を付与する憲法宣言を発したり、政権に批判的な活動家らを名誉毀損などの容疑で次々と拘束したりするなど強権的な手法で乗り切ろうとしたことに加え、2013年6月17日には、外国人観光客の減少で苦境に陥っている観光業界の反対を押し切って、1997年にルクソールで外国人観光客58人を殺傷するテロ事件を起こした“イスラム団”の関係者を、あろうことか、ルクソール県の知事に任命するということまでやっています。たしかに、現在のイスラム団はテロとの決別を宣言してはいるのですが、イメージが大きな意味を持つ観光業にとって、わざわざイメージを悪化させるような経歴の知事の任命は受け入れがたいというのが世論の大勢でした。 エジプト国民の多数派は宗教的には穏健保守というスタンスですから、穏健派イスラム主義をベースに掲げたムルシー政権に対する国民の期待はかなり大きかったのですが、ことほど左様に、ムルシー政権とムスリム同胞団は、彼らの主義主張とは別の次元で、統治能力のなさを白日の下にさらしてしまい、民心も完全に離反。 2013年6月下旬以降、エジプト各地ではムルシーの退陣を求める反政府デモが各地で激化。これに対して、大統領とその支持派は“国民の選挙で選ばれたこと”を根拠に一歩も引かない構えで、国を二分する対立が続いていたところ、7月3日夜、エジプト軍トップのアブドルファッターフ・シーシー国防相が全土に向けたテレビ放送を通じ、憲法を停止して議会選挙を実施し、最高憲法裁判所のマンスール長官がムルシーに代わって暫定大統領に就任すると発表。政変後の7月16日に成立したベブラーウィー内閣では、シーシーは国防省兼第一副首相に就任します。 翌2014年5月の大統領選挙ではシーシーが得票率96.91%で当選し(2018年に再選され、現在は2期目の任期中)、エジプトは軍主導の権威主義体制の下で安定を回復することになりました。 ちなみに、かつてダマスカス(現シリア共和国の首都)で大法官を務めたイブン・ジャマーアは「40年間の専制は1時間の無政府状態より良い」との言葉を残しましたが、革命の混乱を経験した現在のエジプト国民もまた、この言葉に共感するのでしょうかねぇ。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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