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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手歳時記:牛車に乗って難を逃れる
2021-01-03 Sun 00:43
 公益財団法人・通信文化協会の雑誌『通信文化』2021年1月号が発行されました。今回は新年号ですから、僕の連載「切手歳時記」も、毎年恒例、干支にちなんで、牛に関する切手の中からこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます) 

      第一次国宝・平治物語絵詞

 これは、1968年9月2日に発行された第1次国宝シリーズ第4集の「平治物語絵詞(絵巻とも)」の切手のうち、「平治物語絵詞」を取り上げた1枚で、牛車に乗って二条帝が内裏を脱出する場面が描かれています。

 正月の飾り物にも使われる南天は「難を転ず」の語呂合わせで災厄を逃れる縁起物とされています。

 昨年は新型コロナ禍で世の中全体が鬱々とした気分でしたから、南天を飾って、今年は“難”を引きずらないようにと祈りたい気分の人も多いでしょうね。丑年の年賀切手ではなくても、牛を描いた日本切手はいろいろあるのですが、今回は、牛もからんだ“難を逃れる”切手ということで、この1枚を選んでみた次第です。

 絵巻のテーマとなっている平治の乱は、保元の乱(保元元=1156年)が終結した後の権力闘争でした。

 保元の乱に勝利した後白河帝は、保元3(1158)年、二条帝に皇位を譲り、後白河院として院政を始めます。これに伴い、院近臣の信西(藤原通憲)が政権を握りましたが、二条帝の親政を望む藤原経宗と藤原惟方や、信西と対立関係にあった藤原信頼はこの状況に不満を持っていました。

 一方、保元の乱で武勲第一の源義朝が左馬頭に留まったのに対して、平清盛が播磨守・大宰大弐になったため、源平の反目も鋭くなります。こうした中、清盛と結びついた信西に対して、信頼は義朝と手を結び、後者を経宗と惟方が支持する構図が生まれました。

 平治元12月4日(1160年1月19日)、清盛が一門を率いて熊野に詣でると、同9日、信頼と義朝は御所を襲い、二条帝と後白河院を内裏に幽閉するとともに、宇治田原の大道寺に隠れていた信西を討ち取り、信頼が政権を掌握しました。

 ところが、事件を知った清盛が17日に帰京して六波羅の屋敷に戻ると、二条帝の親政が実現しないことに不満だった経宗と惟方はあっさり清盛方に寝返りました。

 清盛は信頼への忠誠を装って油断させたうえ、25日、二条大宮で失火騒ぎを起こします。信頼と義朝の関心がそちらに向いている隙に、清盛は、女装した二条帝と中宮・紀伊の二位局を牛車に乗せ、北野詣と偽って内裏から六波羅に行幸させるとともに、後白河院を仁和寺に逃がすことに成功します。

 今回ご紹介の切手に取り上げられているのは、内裏を脱出しようとする二条帝の牛車を前に、警護の武士たちが御簾をはね上げて中をあらためようとする場面で、御簾がめくれて女装した帝の裳裾がちらっと見えているところなど、芸が細かいですね。

 後白河院と二条帝の脱出を知った公卿や武士は先を争って清盛に与して六波羅に終結。二条帝から信頼と義朝の追討宣旨が清盛に出され、清盛は加軍として内裏を攻撃し、事実上、勝敗は決しました。

 ちなみに、『平治物語絵巻』はもともと全5巻でしたが、現存するのは、切手に取り上げられた「六波羅行幸の巻」(東京国立博物館蔵)のほか、「三条殿焼討の巻」(明治初年にフェノロサが購入し、現在は米国・ボストン美術館蔵)、「信西の巻」(静嘉堂蔵)の三巻のみ。しかも、「六波羅行幸の巻」は欠損があり完本ではありません。

 また、現存する3巻すべてが国宝に指定されているわけではなく、「信西の巻」は国の重要文化財で、ここからは、牛車で参内した公家たちとその従者が待賢門前で騒然としている場面と、乱によって一時、大臣兼大将となった信頼が信西一族追捕の詮議を行う場面は、1992年の「国際文通週間」の切手に取り上げられました。同じ絵巻物でありながら、国宝の部分と重要文化財の部分があり、それらが別々に切手に取り上げられているので注意が必要です。


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