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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 世界の切手:キューバ
2019-08-05 Mon 02:15
 ご報告がすっかり遅くなりましたが、アシェット・コレクションズ・ジャパンの週刊『世界の切手コレクション』2019年7月3日号が発行されました。僕が担当したメイン特集「世界の国々」のコーナーは、今回はキューバの特集(5回目)です。その記事の中から、この1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・ニコ・ロペス(2015)

 これは、2015年にキューバで発行された“ニコ・ロペス高等学校55周年”の記念切手で、学校の校舎と校名の由来となったキューバ革命の志士、ニコ・ロペスの肖像が描かれています。

 ロペスは、1932年10月2日、ハバナで生まれました。

 1934年、米国の支援を受けて政権を獲得したキューバ陸軍の実力者、フルヘンシオ・バティスタとその一派は、第二次大戦前後の約20年間にわたって政権をほぼ独占していました。

 こうした状況の下、1952年、バティスタ(当時は上院議員)は大統領選挙に立候補したものの、野党オルトドクソ党のロベルト・アグラモンテ候補に対して苦戦していたため、同年3月10日、軍事クーデターを決行し、力ずくで大統領に就任します。

 この選挙に立候補していた青年弁護士のフィデル・カストロ(以下、フィデル)はこれに憤慨し、バティスタを憲法裁判所に告発しましたが、裁判所はこれを握り潰しました。また、既存の二大政党、アウテンティコならびにオルトドクソのいずれも、結果的にバティスタのクーデターを容認しており、キューバの一般国民の生活は一向に改善される気配はありませんでした。

 そこで、フィデルは、アベル・サンタマリーア、ニコ・ロペス、ヘスス・モンタネら同志とともに、バティスタ打倒のためには、既成政党とのしがらみのない若者を動員することが重要と考え、地下放送を通じて同志を募り、クレー射撃の練習を装い、ハバナ大学の施設を利用して、約1200名の反バティスタの活動家を訓練。彼らは、1953年7月26日、反バティスタの武装蜂起を起こします。

 このとき、フィデルら90人の本隊はサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営を襲撃しましたが、ロペス率いる22人の別動隊は、サンティアゴ・デ・クーバサンチャゴから80キロ離れたバヤモのカルロス・マヌエル・デ・セスペデス要塞を襲撃して通信網を破壊し、政府軍とモンカダとの連絡を途絶させることを試みました。

 しかし、叛乱はすぐに鎮圧され、フィデルを含む叛乱側の若者の多くが逮捕されます。しかし、ロペスは、アルベンス政権下でリベラル改革が進められていたグアテマラに辛くも脱出。そこで、アルゼンチン出身の青年医師、エルネスト・ゲバラと知り合いました。

 アルベンス政権は1954年6月、CIAの介入により崩壊し、ゲバラはメキシコに亡命。この時点では、ゲバラはキューバでのカストロの活動にはそれほどの関心を持っておらず、メキシコに逃れていたキューバ人の亡命者の多くは大言壮語するばかりで、彼らの語る“革命”には何ら現実味を感じられずにいたようです。なお、ゲバラは、アルゼンチンとウルグアイで話されるリオプラテンセ・スペイン語の間投詞で、特に意味はない“チェ”の語を会話の際に連発していましたが、ロペスを含め、亡命キューバ人たちは“チェ”の意味が分からなかったため、いつしかゲバラを“チェ”のあだ名で呼ぶようになり、“チェ・ゲバラ”の由来となりました。

 さて、ゲバラはメキシコでロペスと再会したことに加え、当時の妻で、ゲバラにとっては共産主義理論の師でもあったイルダがキューバの情勢について熱く語るのを聞いて、次第にキューバ情勢にも関心を持つようになり、1955年5月、ロペスから、フィデルの弟、ラウル・カストロを紹介されます。

 そして、同年7月8日、フィデルがメキシコシティに到着すると、7月第2週の“メキシコのあの寒い夜”、亡命キューバ人の溜まり場になっていた、エンバラン街49番地にあるマリーア・アントニア・ゴンザレスの家で、ついにゲバラとフィデルは運命の出会いを果たし、すっかり意気投合。以後、キューバ革命に邁進していくことになります。

 ゲバラとカストロ兄弟を結び付けたロペスは、その後も彼らとともに革命活動を続け、1956年12月2日にはグランマ号でキューバ島への再上陸を果たしました。しかし、その直後の12月8日、バティスタ政府軍との戦闘により、戦死しました。

 さて、『世界の切手コレクション』7月3日号の「世界の国々」では、キューバの革命戦争(その詳細については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』も併せてご覧いただけると幸いです)についての長文コラムのほか、エドゥアルド・アベラの絵画「農民たち」砂糖1000万トン計画グランマ号上陸記念国立公園カストロの白鳩の切手などもご紹介しています。機会がありましたら、ぜひ、書店などで実物を手に取ってご覧ください。

 なお、「世界の国々」の僕の担当ですが、今回のキューバの次は、7月10日発売の同17日号でのオーストラリアの特集となっています。その内容の一部は、近々、このブログでもご紹介する予定です。


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 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。

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