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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 グランマ号上陸の日
2018-12-02 Sun 06:40
 きょう(2日)は、1956年12月2日にフィデル・カストロらがグランマ号でキューバ島に上陸し、キューバ革命戦争の火ぶたを切った記念日です。というわけで、こんな切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      キューバ・グランマ号航路

 これは、2016年に発行された“グランマ号上陸60周年”の記念切手で、グランマ号とその航路の地図が描かれています。

 1955年夏、メキシコでエルネスト・チェ・ゲバラを加えたフィデル・カストロら7月26日運動(M26)の同志たちは、1956年3月のキューバ島再上陸をめざして本格的な準備を開始しました。

 リーダーのフィデルは、ホセ・マルティの先例に倣い、1955年10月、ニューヨーク、テキサス、マイアミ、コスタリカなどを回り、アウテンティコ党やオルトドクソ党とも協力関係を築き、反バティスタの在外キューバ人の組織化と資金の調達に努めるとともに、モンカダ兵営の襲撃事件を“冒険主義”と批判していた人民社会党の一部とも連携を始めます。

 これとほぼ時を同じくして、ゲバラは他のキューバ人メンバーとともに、スペイン内戦・共和派の勇士、アルベルト・バーヨ将軍の指導の下、ゲリラ戦の訓練に参加していました。1955年の時点で、バーヨはすでに63歳でしたが、フィデルの理想に共鳴してM26の教官を引き受け、サンタ・ロサの農場で銃器の扱い方をはじめ、ゲリラ戦の基礎から教育します。

 バーヨの訓練は厳しく、サンタ・ロサでは落伍者が続出。また、参加者の中には、敵と内通し、通信設備や武器を横流しし、その金を持って消えてしまう者さえいました。

 さらに、フィデルによる資金の調達も困難を極めており、1956年3月の上陸作戦計画は予定通りには進まず、大幅に遅れます。

 一方、キューバのバティスタ政権は、フィデルがメキシコに到着した時点からフィデルを殺害するため、現地のキューバ大使館付き武官が一万ドルを支払って殺し屋を雇っていましたが、この計画は失敗。このため、キューバ大使館はメキシコ当局に接近して関係者を買収し、フィデルらM26メンバーの居場所を突き止めたり、彼を告発したりするよう依頼します。

 この結果、1956年6月20日、交通違反を理由にフィデルの車が捜索を受け、武器が積まれていたことを理由にフィデルらは部金不法所持で逮捕され、同25日にはゲバラも逮捕されてしまいました。

 その後、フィデルらはメキシコ元大統領のカルデナスの仲介により1ヶ月ほどで釈放されたものの、ゲバラは密入国のアルゼンチン人で、しかも、共産主義者と見なされたため拘留が長期化します。

 官憲による逮捕の可能性を予期していたゲバラは、自分が逮捕された場合には、M26の同志は自分を置き去りにしてキューバへ向けて出発してほしいとフィデルに語っていましたが、7月25日に釈放されたフィデルはゲバラを決して見捨てず、あらゆる手段を惜しまずにチェの釈放に奔走。その甲斐あって、ゲバラは57日間の拘留の後、8月半ばに釈放されました。ゲバラの釈放には10日以内に出国することとの条件が付けられていたため、以後、彼は地下活動に入ります。

 一方、フィデルは、この頃、知人のエル・クアーテ・コンデかた“グランマ”という名の古いヨットを購入します。ヨットは1943年製で、定員は12人、無理をすれば何とか20人は乗れるという規模でしたが、竜骨は前年のハリケーンで壊れていました。

 そうしている間にも、M26に対するバティスタ政権の包囲網は日を追って狭められ、彼らがそのままメキシコで訓練を続けることは次第に困難になっていました。さらに、11月半ばにはメキシコ警察がM26の隠れ家二ヵ所を発見して武器を押収し、主要メンバーの1人であったペドロ・ミレーが逮捕されます。また、21日にはM26が訓練拠点としていたアバソーロの牧場からメンバー2人が脱走し、遠征計画が外部に漏れる危険が生じました。

 このため、翌22日、フィデルは急遽、各地の同志に動員令を発し、ゲバラも寝ていたベッドや飲みかけのマテ茶もそのままに、また、喘息の持病を抱える身として必携の吸入器さえ持たずに出発しました。

 こうして、11月24日、グランマ号が係留されていたトゥスパンに遠征隊員が終結。翌25日午前2時頃、フィデルが「1956年、我々は自由を勝ち取るか、さもなくば殉教者となるであろう」と力強く宣言し、55丁の銃と82人の隊員がグランマ号に乗り込み、大雨と大風の荒天の中、キューバ島東部の二ケーロへ向けて出発しました。

 当初、M26の立てた計画では、11月30日にフィデルがニケーロに上陸し、反バティスタの農民兵百人と合流したうえで、マンサニージョからシエラ・マエストラの山中を拠点にゲリラ戦を展開。これに呼応して、フランク・パイスがサンティアゴ・デ・クーバで蜂起するという段取りになっていました。

 このため、グランマ号は夜陰に乗じてユカタン半島沿いを進み、沿岸警備隊に発見されないよう、なるべく早くメキシコの領海外へ出て、ジャマイカに沿って迂回し、ニケーロ周辺の海岸に到着するコースを予定していましたが、もともと老朽化していた船はエンジントラブルに加え、重量の大幅な超過と悪天候、さらに、ほとんどの遠征隊員が当初は船酔いでまったく活動できなかったことなどが重なり、予定の30日になっても海上を漂うばかりでキューバ島は全く見えませんでした。

 本来であれば、ここでフィデルらはフランクに上陸が遅れることを知らせ、作戦を中止すべきでしたが、グランマ号には発信機はなく、フランクにはメキシコ出航時に無時出発した旨の電報が送られたきりだったため、11月30日、サンティアゴ・デ・クーバでは事前の打ち合わせ通りに武装蜂起が発生し、これに呼応して、キューバ内の他の都市でも発砲事件などが散発的に発生。しかし、ニケーロにいるべきフィデルらは依然としてメキシコ湾上におり、同時蜂起とはならなかったため、政府軍は兵力をサンティアゴ・デ・クーバに集中し、叛乱はほどなく鎮圧されてしまいました。

 また、ただでさえ、理想主義者のフィデルは、革命の政治的効果を狙って、メキシコ出発前にグランマ号でのキューバ遠征に向かうとの声明を発表しており、バティスタ政権側に迎撃の準備を整える余裕を与えていましたが、到着がさらに遅れたことで、グランマ号が予定通りニケーロに向かうことは完全な自殺行為となってしまいました。このため、彼らは行き先をニケーロ南西部のラス・コロラダスの海岸に変更し、そこから、トラックを奪ってシエラ・マエストラに向かうことになります。

 結局、彼らがキューバ島に到着したのは、12月2日の明け方のことで、到着場所はラス・コロラダス海岸の予定地点から二キロ離れた地点でした。

 ラス・コロラダス海岸に到着した一行はグランマ号から降りて、胸まで水に浸かりながらマングローブの海を進み、ようやくキューバ島への上陸を果たします。しかし、飛行機を通じて“不審船”の動きを探知していたバティスタ政府は、砂糖キビの食べかすなどから叛乱軍の足跡をたどり、12月5日の昼頃、アレグリーア・デル・ピノで反乱軍を迎撃。こうして、キューバの革命戦争が始まりました。

 さて、現在制作中の拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』では、キューバ革命に関する切手も多数ご紹介しております。フィデルのM26のキューバ島上陸計画に倣ったわけではないのですが、諸般の事情で制作作業が予定よりも大幅に遅れており、心苦しい限りです。正式な刊行日等、詳細が決まりましたら、このブログでも随時ご案内いたしますので、よろしくお願いします。


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 以下のスケジュールで、トークイベント・講演を行いますので、よろしくお願いします。(詳細は、イベント名をクリックしてリンク先の主催者サイト等をご覧ください)

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 午前中 「韓国現代史と切手」

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