2019-03-07 Thu 14:37
チェコ東部の村ズジェホフで、おととい(5日・現地時間)、無許可で雌雄のライオンを飼っていた男が、ライオンに襲われて亡くなったそうです。というわけで、チェコのライオン切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1920年、シベリアの第1チェコスロバキア狙撃連隊(以下、チェコ軍団)の将兵用に発行された切手で、チェコスロヴァキアの国章“ボヘミアのライオン”が描かれています。 第一次大戦以前、チェコとスロヴァキアはハプスブルク帝国の支配下にあり、チェコおよびスロヴァキア人将兵はオーストリア軍の一員として大戦に参加し、ロシア軍と戦っていました。しかし、もともとハプスブルクからの独立を強く望んでいたチェコ人たちは、ヨーロッパ諸民族とドイツ人との戦いとしての第一次大戦を民族独立の好機とみなすようになり、“敵の敵”であるロシアに投降する者が後を絶ちませんでした。 このため、ロシア帝国は、チェコ人とスロヴァキア人捕虜によってチェコ軍団を結成。彼らは義勇兵として独墺と戦い、1917年7月のガリツィア攻勢において3000人以上の捕虜を獲得するなどの戦果を挙げています。1918年の時点で、チェコ軍団の規模は約15万人で、帝政ロシアを打倒して独墺と単独講和を結んだボリシェヴィキ政権はドイツの手先であると考えていました。 こうした状況の下、1918年4月、シベリア経由でヨーロッパ戦線に向かおう途中のチェコ軍団のメンバーが、移送中のドイツ・オーストリア軍の捕虜と小競り合いを起こしたのをきっかけに、チェコ軍団による反乱が勃発。チェコ軍団はシベリア鉄道に沿って、当時、無政府状態になっていたサマラ=イルクーツク間の地域を占拠しました。 これに対して、ボリシェビキ政権は連合国に対してチェコ軍団の武装解除を要求しましたが、連合国側はこれを拒否。逆に、「チェコ軍団がシベリア各地で殲滅されかかっている」として、チェコ軍団救出を大義名分に、ボリシェビキ政権に対する干渉出兵を行うこととします。ボルシェビキ政権を打倒し、連合国に立って戦うロシア政府を樹立することによって、東部戦線にドイツ軍を釘付けにするためでした。これが、列強諸国によるシベリア出兵の基本的な構図です。 さて、今回ご紹介の切手の台切手は、1919年9月、プラハで製造されたもので、“ボヘミアのライオン”の紋章の周囲に軍隊を示す各種の武器を散りばめたデザインになっています。周囲には“シベリア・チェコスロバキア軍郵便(POSTA CESKOSLIVENSKE ARMADY SIBIRSKE)”の文字と発行年を示す“1919”の表示があり、1920年以降は、今回ご紹介の切手のように、1920の年号や各種の額面を加刷して使用されました。 なお、この切手が発行されたときには、すでに、大戦は終結してハプスブルク帝国は崩壊しており、チェコはスロヴァキアとともにチェコスロヴァキアとして独立していました。 ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ 本体3900円+税 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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