2011-02-04 Fri 23:58
日本相撲協会の現役の大相撲力士による大相撲本場所での取組での八百長問題で、きのう(3日)、一部の力士が八百長を認めたそうです。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1963年10月27日に発行された「第18回国民体育大会(以下、国体)」の記念切手の1枚で、相撲が描かれています。 国体はスポーツの大会ですから、その競技の一つとして行われる相撲に関しては、ルールに則って正々堂々と競技が進められるべきで、八百長など持っての他ということになりましょう。ただ、問題は大相撲がそうした純然たるスポーツとしての相撲を追求するものであるのかどうかという点で、僕などは、必ずしもその必要はないのではないかと考えています。 そもそも、相撲には五穀豊穣を祈る神事として、一種の演武のような性格があります。端的にいえば見世物ないしは興業であって、その意味では、歌舞伎や能のような古典芸能の一種とみなすことも可能でしょう。見世物である以上、ある程度の演出は絶対に必要であり、いかに上手く負けて見せるかということも演者の技量として評価すべきポイントになるはずです。時代劇で、切られ役の俳優の良しあしが芝居全体の出来不出来にかかわってくるのと同じことです。 誤解のないように言っておきたいのですが、大相撲がスポーツではなく見世物であったからと言って、そのことじたいが大相撲の価値を貶めるものとはなりません。 たとえば、プロレスの場合、勝敗に関してシナリオは決まっていたとしても、そのことをもって“八百長”が非難されることはないでしょう。むしろ、観客は、勝負の過程で、善玉と悪玉が互いの肉体を駆使して繰り出す技を鑑賞することによって満足を得ているわけで、おそらく、勝敗そのものはどうでも良いとはいわなくても、あくまでも二義的なものと思っているのではないでしょうか。実際、プロレスラーによる高度な技の応報は、僕たち素人には絶対にまねのできないものなのですから…。 そもそも、関取が大銀杏を結い、日常的に和装で生活しているのは、みずから、幕末の開国以前から続く伝統芸能の保持者であることを広くアピールするためのものであって、そうだとすれば、西洋式の近代スポーツとは別の論理で動く、江戸時代以来の見世物としての側面もそのまま維持されていると見るのが自然なはずです。それゆえ、仮に大相撲の“八百長”を非難するなら、それは、あらかじめ観客の預かり知らぬところで勝敗が決められていることが悪いのではなく、勝ち方や負け方の演技が稚拙で見る者を白けさせている点こそ問題にすべきだと僕は思います。 もし、どうしても、大相撲を純然たるスポーツにしてしまいたいのなら、そもそも力士という呼称も止めるべきでしょうし、選手は今回ご紹介の切手のように現代風の頭髪とし、どこの国籍の人間であろうが、また、どんなに人格が粗野で私生活に問題を抱えていようと、ルールにのっとって白星を積み重ねた者が、純粋にそのことによってのみ称賛されるというのが筋でしょう。もっとも、そうしたスポーツ相撲が広く国民の支持を得られるのかどうか、個人的には、大いに疑問を感じますがね。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ マカオ紀行:世界遺産と歴史を歩く 彩流社(本体2850円+税) マカオはこんなに面白い! 30の世界遺産がひしめき合う街マカオ。 カジノ抜きでも楽しめる、マカオ歴史散歩の決定版! 歴史歩きの達人“郵便学者”内藤陽介がご案内。 全国書店・インターネット書店(amazon、bk1、boox store、coneco.net、DMM.com、HMV、JBOOK、livedoor BOOKS、Yahoo!ブックス、カラメル、紀伊国屋書店BookWeb、ゲオEショップ、ジュンク堂、セブンネットショッピング、丸善、楽天ブックスなど)で好評発売中! |
大相撲について、純然たるスポーツから、プロレスのように興行的要素の多いものに変えていくという先生のアイデアは大変興味深く、なるほどと思いました。ただ、方向性を変えるにしろ、次の点についてはしっかり総括し、それまでは国技の看板を掲げるべきではないと思います。
1八百長の一番の問題である相撲賭博について 2大相撲は今まで皇室の方をはじめ、多くの日本人のファンによって支えられており、優勝者には天皇陛下からの賜杯をはじめ、多くの栄誉が与えられました。しかし、今回まで続く不祥事は、皇室や多くの国民に対する裏切り、背信行為と言えるのではないでしょうか。大の相撲ファンだった昭和天皇がこの不祥事を聞いたら、何を思ったでしょう。 #1942 The opening of Japan
最初の開国は明治維新である。二番目の開国は戦後である。三番目の開国はこれからである。
考え方にはいろいろある。自分たちの考え方が理に合わないものであることを証明するのは難しいことである。だが、それが証明できなければ、おかしな考え方を改めることも難しい。 http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/ http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812 #1944 コメントありがとうございます。
皆様、コメントありがとうございます。
・切手バンザイ様 国技というのはあくまでも彼らの自称でしかないということを知らない人が多すぎますね。また、今回の一件で、相撲がスポーツだと思っている人が多いことにも驚きました。 まぁ、賭博の問題については、不法行為の証拠がそろえば警察なり検察なりが摘発すべきとしか言いようがありませんな。 まぁ、僕としては、賜杯を返上し、正直に「相撲にはショウの要素も強い。誤解を与えてきたとしたら、大変申し訳なかった」と土下座してカミングアウトした上で、興行を続ければいいと思っていますが…。 ・noga様 幕末・明治の開国はまぁ良いとして(ホントは、江戸時代も全く国際社会から孤立したいたわけではないのですが)、戦後が第2の開国という発想には、ちょっとついて行けませんねぇ。そもそも、鎖国をしていたら戦争にはならないでしょうし、大東亜共栄圏構想なんてものは出てくるはずがありませんから。 そういえば、石原莞爾が、いわゆる東京裁判で「日本の戦争責任は、日清・日露戦争までさかのぼる」と述べたとき、「それならペリーをよんでこい」と言っていたことを思い出しました。 #1978 こんばんは。
はじめまして。
大相撲 復活!!ブログ場所の管理人の noriと申します。 相撲の切手初めて見ました。 八百長相撲問題も地震がおきてから影を潜めましたが 消えたわけではありません。 しかし今回文明の力「携帯電話」が証拠となってしまった だけで、昔からやっていたことだと思います。 力士というのは特殊で、いろいろなものを求められますね。 ガチで15日間戦ったらどうなるでしょう。 ちょっと見るのが怖いです。ヾ(・ω・`●) 日本相撲協会は今頑張りどきなので、被災地に出向き 復興の応援をするべきです。 タイミングもあるとは思いますが・・・ 今、外国人力士は帰省命令がでており 力士たち全員、自宅か部屋で自粛しているそうです。 暇でも賭けごとが出来るわけではないですし(笑 体力あまって太っちゃいますね。 #1980 コメントありがとうございます
・nori 様
いまこそ、本場所の中止でキャンセルした大阪体育館を使って、チャリティ大相撲(入場料は全額寄付するとか)をやっても良いんじゃないかと思うんですけどねぇ。 被災地に素人が行っても、かえって、足手まといになる可能性もありますし、彼らにしかできない支援の方法って、やっぱり、被災地以外の人に相撲を見せて、義捐金を集めるというのがベストじゃないでしょうか。 なお、相撲の切手は、このブログでも、ほかにもいくつか取り上げていると思いますので、良かったら、ブログない検索をかけて、ご覧ください。 |
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