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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 橋の日
2010-08-04 Wed 13:53
 きょうは8・4の語呂合わせで“橋の日”だそうです。というわけで、今秋刊行を目指して現在制作中の切手紀行シリーズ③『マカオ歴史漫郵記』(仮題)のなかから、こんなモノをもってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      澳氹大橋MC     澳氹大橋(実物)

 左は、1981年6月10日に発行された“ルイス・カモンエス逝去400年”の記念切手を嘉楽庇総督大橋の絵葉書に貼り、1982年12月7日の消印を押したものです。切手の発行日と消印の日付は全く関係ないのですが、切手の背景に澳氹大橋が描かれているので、マキシマム・カードのつもりで作ったものなのでしょう。ちなみに、右の画像は、2009年5月にペンニャの丘から眺めた嘉楽庇総督大橋とマカオ・タワーの風景です。どちらの場合も、背景に見えるのは中国の珠海市です。
 
 マカオ半島とタイパ島を結ぶ橋は、現在、嘉楽庇総督大橋、澳門友誼大橋、西湾大橋の3本がありますが、このうち、もっとも古いのが嘉楽庇総督大橋です、このため、一般には単に澳氹大橋と呼ばれることも多く、他の2本と区別する必要があるときは、舊(旧)澳氹大橋ないしは舊大橋と呼ばれることもあります。

 嘉楽庇総督大橋は、その名の通り、ポルトガルのマカオ総督だったノブレ・デ・カルバリョの在任中の1970年に着工され、彼の退任(1974年11月)直前の1974年10月に完成しました。総距離は2569.8メートル、幅は9.2メートルです。当初は有料道路でしたが、後に無料となりました。ちなみに、マカオ半島とタイパ島を結ぶ第2の橋として友誼大橋が完成したのが1994年のことです。

 完成から30年以上が過ぎた2005年4月8日から、半年間、橋を閉鎖しての大規模な修復工事が行われ、橋の中央部両側に補強のための支柱がつけられました。左右の画像を見比べると、その違いがお分かりいただけると思います。なお、右側の写真にそびえたっているマカオタワーがオープンしたのは2001年12月のことです。

 今秋、彩流社の切手紀行シリーズ第3巻として刊行予定の『マカオ歴史漫郵記』(仮題)では、マカオ半島の世界遺産のみならず、今回ご紹介の嘉楽庇総督大橋を渡って、タイパ・コロアネを歩いた時のことについても別に1章を設ける予定です。正式なタイトルや刊行日など、詳細が決まりましたら、逐次、このブログでもご案内していきますので、よろしくお願いいたします。


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