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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 国際女性デー
2021-03-08 Mon 02:12
 きょう(8日)は国際女性デーです。というわけで、例年どおり、女性を取り上げた切手の中から、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ソロモン諸島・RAMSI派遣5周年(移動の自由)

 これは、2008年8月20日にソロモン諸島で発行された“ソロモン地域支援ミッション(RAMSI)派遣5周年”の記念切手のうち、“移動の自由”と題して、市場で談笑する女性たちを取り上げた1枚です。

 1978年に独立したソロモン諸島では、1997年まで国内の政治状況は比較的安定していましたが、その反面、一部の有力者が政権をたらいまわしにし、政治的緊張感の乏しさから、サイクロン被害からの復興や食糧輸入の急増に伴う国内経済の悪化などの問題の解決は先送りにされていました。そして、経済状況の悪化に歯止めがかからないまま、一人あたりの実収入が低下しつつある一方、ガダルカナル島東海岸や西部州など一部の地域では開発の利益が適切に再分配されず、就学できない児童も増加したことから、住民の間には不公平感が渦巻いていました。

 こうした背景の下、1997年8月の総選挙後に成立したバーソロミュー・ウルファアルの自由党政権は、経済再建を目指し、政治腐敗の温床になっていた既得権益にも切り込もうとしたものの、既得権益層がこれに頑強に抵抗し、改革はなかなか進みませんでした。

 これに対して、1998年12月、首相経験者でガダルカナル州主席のエゼキエル・アレブア(ガダルカナル出身)は、中央政府への不満から、ラジオのインタビューで、ガダルカナル島内に居住する島外出身者から補償金を徴収する意向を表明。もともと、英領時代から、ガダルカナルでは、元からのガダルカナル島民(ガダルカナル人)と島外から移住者、中でもその最大勢力であるマライタ出身者(マライタ人)との軋轢があり、マライタ人への敵意を露にする武装組織が“ガダルカナル解放軍”または“ガダルカナル革命軍”などと名乗って活動していました。彼らは、アレブアの発言を機に島内在住のマライタ人への不満を隠そうとはしなくなり、マライタ人に対する暴力事件が頻発。いわゆるガダルカナル紛争が発生します。

 特に、ガダルカナル人過激派の“イサタンブ解放運動(IFM:Isatabu Freedom Movement)”は、マライタ人を中心とする島外出身者の排斥のためには暴力も厭わず、ガダルカナル島北部のマライタ人の集落や居住区を襲撃して暴行略奪を繰り返しました。この結果、当時の人口が約11万人だったガダルカナルで約1万人のマライタ人が、国際赤十字の設置したホニアラの難民キャンプへの避難を余儀なくされています。

 1999年6月末には、英連邦の調停もあって、「ホニアラ和平協定」が調印されましたが、そのわずか1ヶ月後には、ホニアラ郊外で警察とIFMの武力衝突が起き、IFM側に死者が発生。さらに、ホニアラ和平協定では、被害者であるはずのマライタ人への補償がほとんどなかったことから、2000年1月、一部のマライタ島民は、IFMに対抗して、武装集団を結成し、マライタ州の州都アウキの警察署を襲って武器・弾薬を強奪します。

 武器・弾薬を入手した武装勢力はホニアラに向かい、現地で他の集団と合流のうえ、民兵組織 “マライタ・イーグル・フォース(MEF)”の設立を宣言。MEFは、暴力によってIFMに奪われた土地・財産は暴力によって奪還することを主張し、ガダルカナル用内ではIFMとMFFの激しい戦闘が展開されました。

 その後、オーストラリアとニュージーランドの介入により、2000年10月、タウンズヴィル和平協定が調印されたものの、協定に定められた武装解除はなかなか進まず、特に、ガダルカナル島南部のウェザーコースト地区は、ハロルド・ケケを中心に、和平協定への署名を拒否し、IFMから分派した強硬派の“ガダルカナル解放戦線(GLF: Guadalcanal Liberation Front:GLF)”が実効支配を続け、略奪や破壊、殺人などの犯罪が繰り返されていました。

 こうして、ソロモン諸島は、治安が回復しないために経済状況は一向に好転せず、経済状況の悪化が治安の悪化を招くという悪循環に陥っていましたが、2003年4月、当時のソロモン諸島政府首相だったアラン・ケマケザが、オーストラリアの介入を要請。これを受けて、7月24日、オーストラリアが主導して、ニュージーランド、パプアニューギニア、 フィジー、トンガの太平洋諸島フォーラム(PIF)加盟国の警察・軍隊からなるソロモン地域支援ミッション(RAMSI)2200人が、ソロモン諸島の法と秩序回復・財政再建のために派遣されました。

 はたして、RAMSIの派遣後まもない2003年8月10日、ハロルド・ケケ率いる武装勢力のGLFも、ケマケザ首相特使である日系議員Y・サトーの説得に応じ、停戦に同意、武装解除のうえ投降するなど、ソロモン諸島の治安は劇的に改善されます。

 今回ご紹介の切手は、ここから5周年に当たるのを記念して発行されたもので、RAMSIの活動により、女性がフツーに市場に出かけていき、買い物ができるまでに治安が回復したことが、”移動の自由”と表現されたわけです。

 この辺りの事情については、拙著『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』でもいろいろまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。


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