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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 33年ぶりの開通
2008-04-04 Fri 18:17
 地中海の分断国家・キプロスの中心都市ニコシアで、30年以上にわたって封鎖されてきたレドラ通り(全長約1キロのうち、南側約800メートルはギリシャ系のキプロス共和国に、北側部分はトルコ系の北キプロス・トルコ共和国にあり、境界付近の80メートルは国連管理下の緩衝地帯)の交通が、昨日(3日)、再開されたそうです。というわけで、今日はこの1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

 キプロス・郵便税切手(1977)

 これは、1977年にキプロス共和国が発行したキプロス難民救済のための郵便税切手で、鉄条網を背景に子供が描かれています。
 
 イギリスの支配下に置かれていたキプロス島は、1960年に“キプロス”として独立しましたが、同島にはもともとトルコ系住民とギリシャ系住民が並存しており、それぞれ、トルコないしはギリシャとの併合を求める声が根強いという事情がありました。こうした状況の下で、1974年7月15日、ギリシャ併合賛成派によるクーデターが発生すると、トルコ系住民の保護を名目にトルコが出兵して同島北部を占領。混乱の中で、トルコ系住民が北部のトルコ占領地域へ、ギリシャ系住民が南部の非占領地域へ移住した結果、キプロスは分断状態に陥り、翌1975年、トルコ系住民は、トルコの強い影響下にキプロス連邦トルコ人共和国(現在の北キプロス・トルコ共和国)を結成しました。

 この過程で発生したギリシャ系難民の救済のため、キプロス共和国では、1974年12月以降、郵便料金とは別に“郵便税切手”を郵便物に貼ることを義務付け、難民救済のための寄付金を集めました。今回ご紹介のものもそうしたものの1枚で、その後も同じデザインで年号部分を変えたものが発行されました。

 キプロス共和国では、今年2月の大統領選で、“北キプロス”との対話重視を掲げるフリストフィアス大統領が当選し、3月21日には南北首脳会談も行われました。今回のレドラ通りの交通再開は、その成果として実現したもので、南北双方とも、再統合交渉を仕切り直したい意向と伝えられています。

 ただし、経済的に反映し、EUへの加盟を実現したキプロス共和国に対して、トルコ以外からは承認されておらず、国際的な孤立から経済的に遅れている北キプロスとの格差は大きく、南が北を吸収合併することには抵抗感も強いようです。

 実際、再統合後の国家像でも、北キプロス側はトルコ系とギリシャ系が対等な共同体として国家運営する方法を主張しているのに対して、キプロス共和国側はこれを一蹴するなど、両者の間には埋めがたい溝があり、住民のお祝いムードとは裏腹に、再統合が実現する可能性は限りなくゼロに近いというのが実情です。
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