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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 イランの宇宙切手
2007-02-26 Mon 00:47
 イラン国営テレビによると、イランが初の宇宙ロケットの打ち上げに成功したとのことです。というわけで、今日はこんな切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

      イラン・アポロ

 この切手は、1969年7月26日、イランがアポロの月着陸を記念して発行したものです。切手は、事前にイメージ図からデザインを作って準備しておいたものを、7月21日(イラン時間)に月着陸が成功したことを受けて、日付を入れて突貫作業で発行したものです。

 石油国有化を宣言して民族主義強硬派路線を鮮明にしたモサデク政権に対して、1953年8月、アメリカはCIA主導のクーデタを敢行し、国王(いわゆるパーレビ国王です)中心の親米政権をイランに樹立することに成功します。

 以後、アメリカはイランの石油権益を確保するとともに、イランを反ソ包囲網の拠点と位置づけて巨額の援助を行い、“湾岸の憲兵”の育成に力を注ぎます。一方、アメリカという強大な庇護者を得た国王も“白色革命”と称する開発独裁政策を展開していきました。

 今回の切手は、そうした状況の中で発行されたもので、パーレビ王制が自らの“保護者”であるアメリカの歴史的快挙をたたえ、そうしたアメリカとの関係を今後とも強化していこうという意図の下に発行されたものと見てよいでしょう。

 しかし、白色革命は、開発独裁政策の常として、ごく一部の特権的企業に巨万の富をもたらした一方で、伝統的な社会構造は大きな変革を迫られ、地主階級を構成していた宗教界やバザール商人、小規模手工業者らは大きな打撃を被ります。そうした彼らの不満を代弁したのが、後にイスラム革命の指導者となるホメイニでした。

 結局、1979年2月のイスラム革命により、パーレビ王制は打倒され、“西でも東でもないイスラム共和国”が樹立されます。

 東西冷戦時代、いわゆる非同盟諸国会議など、東西両陣営のいずれにも与することなく自立的な国家建設を行っていこうとする新興諸国は少なからず存在していました。もっとも、これらの新興諸国の多くは反帝国主義を基本にしており、その意味では、植民地主義の象徴・英仏を含む西側諸国から距離を置き、濃淡の差こそあれ、アメリカよりはソ連寄りの立場を取っていることが少なくありませんでした。

 これに対して、革命イランの掲げた“西でも東でもないイスラム共和国”は意味合いが大きく異なっています。

 すなわち、いわゆるイスラム原理主義者たちの理解によれば、正しい統治は神に由来するイスラム法に依拠していなければならないとされています。その意味では、共産主義であれ自由主義であれ、さらには反帝国主義であれ、イスラム法に基づかない(すなわち、人間の考案した)人造イデオロギーに基づく普通の国家は“正しい政府”ではありえません。このため、イスラム法に依拠している(ことになっている)革命イランの体制は、必然的に既存の東西の国家群からは明確に区別されるというのが彼らの主張であり、そこから“西でも東でもない”との表現が出てくるわけです。

 ちなみに、ホメイニは、米ソの宇宙開発を皮肉って「彼らは月へでもどこへでも好きなところへ行くが良い」といった主旨の発言をしていますが、これもまた、“西でも東でもない”という革命イランの立場を表現したフレーズとして広く知られています。

 現在のイランのアフマディネジャド政権は、ホメイニ亡き後のイランの対外宥和路線への不満を吸収して、革命の本義への復帰を掲げて誕生したわけですが、核開発に対する西側からの圧力が高まる中では、宇宙開発なんてどうでも良いとは言ってられなくなってきたということなんでしょう。

 なお、ホメイニが生きていた時代のイランの切手に関しては、拙著『これが戦争だ!』でもページを設けて説明していますので、よろしかったら、是非、ご一読いただけると幸いです。
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