2007-12-08 Sat 09:05
今日(12月8日)はいわずと知れた“真珠湾”の日。というわけで、定番ネタですが、日米開戦がらみということで、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、いわゆる太平洋戦争の開戦前にアメリカから香港に差し出されたものの、開戦により送達不能となって差出人戻しとなった書留便で、合計25セント分の切手が貼られています。裏面には、1941年10月25日のサンフランシスコ局の印と1942年4月29日のフォレスト・ノールの印が押されています。カバーには開封・検閲された痕跡はありません。おそらく、このカバーを積んだ船は、サンフランシスコを出た後、航海途中で日米開戦になり、サンフランシスコに引き返したのではないかと思います。 宛先の北京道(ペキン・ロード)は、地下鉄の尖沙咀(チムサチョイ)の駅の一番南側、Eの出口の近くで九龍一の繁華街、彌敦道(ネイザン・ロード)とぶつかる道です。九龍の土地勘のある人でしたら、現地の地理に明るい人でしたら、中国旅行社の看板の近くで、のぞきこむと上海料理の名店、滬江大飯店(ウーコン・シャンハイ)のド派手なネオン看板が見えるところといった方がイメージしやすいかもしれません・ 日英開戦に伴い、香港から海外宛に郵便物を差し出せなくなったことは以前の記事でもご紹介しましたが、今回はその逆バージョンとでもいうモノです。両者を並べてみると、戦争による香港の孤立を表現することができます。 太平洋戦争の開戦により、送達不能で差出人戻しとなった郵便物というのはいろいろあって、それらを発着地ごとにまとめてミニ・コレクションを作ってみようかと考えたこともあるのですが、なかなか実現しません。まぁ、気長に取り組むしかないでしょうね。 7月に刊行した拙著『香港歴史漫郵記』は、2004年のアジア展に出品したコレクションをベースに作ったのですが、当然のことながら、それ以降に入手したマテリアルも使っています。今回のカバーもそのひとつなのですが、書籍ではモノクロ図版でのご紹介してみたものの、なかなか実物を展示に使う機会もないので取り上げてみたという次第です。 |
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