2007-06-27 Wed 08:58
いよいよ、今週末の30日から、東京・目白の切手の博物館特設会場にて、「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」(登録審査員によるワンフレーム展と併催)がスタートします。というわけで、今日から同展の展示品の中から、いくつかのマテリアルをピックアップしてプレ公開して行きたいと思います。
まずは、この郵便物をご覧ください。(画像はクリックで拡大されます) これは、1839年10月18日、香港沖で船上生活を送っていたイギリス人が、ボストンの貿易商、トーマス・パーキンス社の船に託して差し出した商用の手紙です。 1839年3月、1アヘン取締りのため、広州に赴任した林則徐は、まず、中国人に対する取締りを強化し、貿易を停止して武力で商館を閉鎖。さらに、イギリス商人には、アヘンを持ち込まない旨の誓約書の提出を要求してアヘンを没収し、これを廃棄処分としました。 イギリスの貿易監督官だったチャールズ・エリオットは、林の厳しい措置に抗議して在留イギリス人全員を率いてマカオへ退去しますが、英国船籍のトマス・カウツ号がマカオで誓約書を書いて広州に入ってしまったことから、林はエリオットの指導力が弱まったものと考え、強硬姿勢に転じ、イギリス人にマカオ退去を命じます。 この結果、イギリス人50家族あまりがマカオを追われて香港沖での船上生活を余儀なくされ、英清関係は一挙に緊張。こうした中で、1839年7月、泥酔したイギリス人水夫たちが中国人を嬲り殺すという事件が発生。犯人の身柄引き渡しを求める清朝に対してイギリス側がこれを拒否すると、林は商船への食糧供給を断ち、外国人商人たちの生活の拠点となっていたマカオを武力で閉鎖します。これが、アヘン戦争の直接的な引き金となりました。 ところで、アヘン戦争以前の広州貿易の時代、中国から西洋宛の通信は、1834年に開設された広州とマカオの収信所が受け付けていました。しかし、収信所は、マカオの封鎖に伴い閉鎖され、船上のイギリス人たちは外部との交通・通信手段を失います。このため、彼らは近くを通過するアメリカ船(彼らはアヘンを持ち込まない旨の誓約書を提出し、貿易を続けていた)に託して、手紙や品物のやり取りを行ったほか、アメリカ船の関係者に用件を依頼することがしばしばありました。 この手紙もそうしたアメリカ商人に託されたものの一例で、広州のジャーディン・マセソン商会との商品の決済を代行するよう、トーマス・パーキンス社の船の船長に依頼したもので、裏側には1840年1月5日に手紙を受け取ったとの書き込みがあります。 30日からスタートの「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」では、今回の郵便物のほかにも、アヘン戦争以前のマテリアルをいくつか展示しています。是非、会場で実物をご覧いただけると幸いです。 なお、この郵便物については、拙著『香港歴史漫郵記』でもご紹介しておりますので、よろしかったら、同書もあわせてご覧ください。 【展覧会のご案内】 6月30日・7月1日(土・日)の両日、 東京・目白の切手の博物館特設会場にて、拙著『香港歴史漫郵記』の刊行にあわせて「香港返還10周年記念・香港切手展 香港歴史漫郵記」を開催(登録審査員によるワンフレーム展と併催)いたします。 展示内容は2004年のアジア国際切手展のオープンクラスに出品して部門最高賞のExcellentメダルを受賞した僕のコレクション、A HISTORY OF HONG KONGと返還以降2006年末までに発行された中国香港切手が中心です。 入場は無料。時間は両日ともに10:30-17:00で、両日ともに14:30から展示解説を行うほか、先着300名様に英領時代の香港切手をプレゼントしますので、是非、遊びに来てください。 |
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#773 歴史事件の経過を伺えるカバー
今回、阿片戦争時のカバーを見ましたが、こんな時のカバーが残っているとは意外でした。背景に林則徐とイギリス側のかけひきを伺うことができて、興味深かったです。
#778 コメントありがとうございます
muraki様
おほめいただき、ありがとうございます。ホントは、目立つハンコが押されたイギリスのカバーがほしいのですが、そっちはとても手が出ません。 |
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