2021-04-23 Fri 02:02
福岡市東区の筥崎宮で職員らの新型コロナウイルス感染が相次いだため、きのう(22日)から境内が閉鎖され、当面参拝ができなくなりました。筥崎宮によると、記録に残っている限り、境内が閉鎖されるのは今回が初めてのことだとか。というわけで、筥崎宮にちなんで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
これは、先の大戦末期の1945年4月1日付の発行告示が出された“青色勅額”の切手です。 1945年4月1日、書状の基本料金が7銭から10銭に値上げされたのにあわせて、元寇の際、亀山上皇が“敵国降伏”の文字を書いたとされる、筥崎宮楼門(伏敵門)の額(勅額)をデザインした切手が発行されることになりました。まさに、本土決戦も辞せずという空気の中で、“神風”にすがろうという、当時の日本国民の心情を反映したようなデザインの切手ですが、終戦前後の混乱の中で数奇な運命をたどることになります。 当初、この切手は、ここに紹介しているように、淡青色で印刷されるはずでした。しかし、切手を発注した通信院(逓信省は、昭和18年に戦時下の行政機構の簡素化によって通信院に改組)と印刷局との連絡の不備から、通信院の指示した淡青色ではなく、灰色で切手が印刷されてしまいます。しかも、たび重なる空襲で印刷局は罹災し、勅額切手は配給前に原版もろとも大半が焼失していました。このため、印刷局は、通信院との連絡もままならないまま、罹災を免れたごく一部の完成品をとりあえず、愛知・岐阜の両県と東京市内の一部の郵便局へ発送します。 一方、切手を受け取った郵便局の側では、慢性的に切手が不足していたこともあり、さっそく、勅額切手の発売を開始。本来、切手の発行は官報や逓信公報で告示するのですが、当時は印刷物の遅刊が日常茶飯事でしたし、発行されていたとしても末端までは届かないことも珍しくありませんでした。このため、現物の切手を目の前にした現場の郵便局が、その切手の発行の告示はすでに出されているものと考えるのも自然なことでした。 ところが、灰色の勅額切手の発売を知った通信院は困惑します。なにしろ、予定とは異なる刷色の切手が、告示もなしに流通してしまったのですから。 そこで、通信院は5月18日になって「昭和二十年五月一日ヨリ左ノ十銭郵便切手ヲ発行セリ」とする日付を戻した遡及告示を出して事態を取り繕おうとします。ちなみに、告示では、切手の刷色は現実に流通している灰色ではなく、淡青色とされていましたが、幸か不幸か、灰色の勅額切手はほとんどが焼失していたため、当局としては、既定の方針どおり、淡青色の切手を急いで製造し、灰色の勅額切手については、その存在をごまかそうとしたわけです。 さて、印刷局は空襲で罹災していたため、切手の印刷は凸版印刷板橋工場に委託され、その際、版式は凸版から簡易なオフセットに変更され、目打の加工も省略されました。一方、逓信院(5月19日、通信院から改称)の委託を受けた凸版印刷では、急ピッチで作業を行い、8月までに淡青色の勅額切手を製造し、各地に発送します。 こうして、切手発行の準備が整い、いざ発売という時になって、8月15日の玉音放送となり、“敵国”ではなく、日本の降伏が発表されました。 この事態に逓信院は狼狽。“敵国降伏”の文字は新たな支配者となる連合軍(米軍)を刺激するに違いないと危惧した逓信院は、急遽、米軍の進駐前に勅額切手をすべて処分することを決定。8月24日付で勅額切手の発売停止を指示します。 もっとも、深刻な切手不足という状況の下では、すでに切手を購入していた一般利用者が切手を使用することを禁止するわけにもいかないので、一般の手持分については、なるべく、他の切手と交換することとされ、郵便物に貼られているものについては、切手を剥ぎ取って“料金収納”と表示したり、“敵国降伏”の文字部分を塗りつぶしたりすることが行われました。 こうして、8月30日にマッカーサーが厚木に到着した時には、勅額切手は処分されて郵便局の窓口から姿を消しており、淡青色の勅額切手は一枚も使われず、灰色の勅額切手も記録には残らず、逓信院は勅額切手をなかったことにして安堵するはずでした。 ところが、事態は思わぬ方向に展開します。 進駐軍の米兵の中には切手の収集家が少なからずおり、彼らは、郵便局だけではなく、切手商や闇市などで日本切手を買い集めていました。そうした中に、郵便局ではすでに発売が停止されていた勅額切手が灰色・淡青色を問わず、相当数、転がっていたのです。 もっとも、彼らは勅額切手を“鬼畜米英”撃滅のためのものとは考えず、日本降伏の記念切手と誤解し、これを“サレンダー・スタンプ”と呼んでもてはやしていました。皮肉なことに、勅額切手は、本来想定されていたのとは全く逆に、米兵のコレクションを飾るものとして彼らの人気を集めることになります。 さて、こうして勅額切手が米兵たちの間で認知されていくなかで、米国スコット社のカタログ編集部に2色の勅額切手が届けられました。同社の切手カタログは、全世界の切手を網羅していることで知られ、その権威は世界中の収集家から認められていました。 切手収集の世界では、同じ図案の同じ額面の切手であっても、刷色や版式が異なれば、まったく別の切手として扱われます。したがって、同じ10銭の勅額切手といっても、凸版印刷で灰色のものと、オフセット印刷で淡青色のものとでは、全く別の切手という扱いになります。 このため、スコット社では調査を開始しましたが、淡青色のものはともかく、灰色の切手に関しては、どうしても、切手発行の告示を発見することができませんでした。逓信院が告示を出していない以上、当然のことなのですが…。 このため、不審に思ったスコット社は、GHQを通じて「灰色の勅額切手には発行の告示が出されていないようだが、これは正規に発行された切手なのだろうか。カタログ編集上の資料なので回答してほしい」と日本政府に照会します。 事ここに至り、もはや日本政府も事実をうやむやにすることができなくなり、1945年12月20日付で、灰色の勅額切手は「四月一日ヨリ発行セリ」という八ヶ月遅れの告示を出し、ようやく、一連の勅額切手騒動も落着しました。 ちなみに、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』では、1945年の終戦前後の混乱が切手や郵便に与えた影響もいろいろまとめております。機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 放送出演・講演・講座などのご案内★ 4月23日(金) 15:00~ 東京・浅草の東京都立産業貿易センター台東館で開催のスタンプショウ会場にて、拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』の刊行記念トークを行います。入場無料・事前予約不要ですので、お気軽にご参加ください。なお、スタンプショウの詳細はこちらをご覧ください 4月24日(土) 倉山塾東京支部特別講演 靖国神社参拝と講演がセットになった有料イベント(参加費は3000円、高校生以下1000円)で、スケジュールは以下の通りです。 14:15 集合 靖国神社 大村益次郎像前 → 参拝(昇殿参拝ではありません)後、講演会場へ移動 15:00 講演会の受付開始 15:30-17:00 内藤の講演(拙著『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』の内容が中心ですが、前日のスタンプショウとは内容が異なるので、両方ご参加いただいても問題ありません) * 終了後、懇親会の予定あり(別途予約が必要です) お申し込みなどの詳細はこちらへ。一人でも多くの方のご参加をお待ちしております。 4月26日(月) 05:00~ 文化放送の「おはよう寺ちゃん 活動中」に内藤がコメンテーターとして出演の予定です。番組は早朝5時から9時までの長時間放送ですが、僕の出番は07:48からになります。皆様、よろしくお願いします。 5月15日(土)~ 武蔵野大学の生涯学習講座 5月15日、22日、6月5日、19日、7月3日、17日の6回、下記のふたつの講座でお話しします。 13:00~14:30 「日本の郵便150年の歴史 その1 ―“大日本帝国”時代の郵便事情―」 15:15~16:45 「東京五輪と切手ブームの時代 ―戦後昭和社会史の一断面―」 対面授業、オンラインのライブ配信、タイム・フリーのウェブ配信の3通りの形式での受講が可能です。詳細については、武蔵野大学地域交流推進室宛にメール(lifelong★musashino-u.ac.jp スパム防止のため、アドレスの@は★に変えています)にてお問い合わせください。 ★ 『切手でたどる郵便創業150年の歴史 vol.1 戦前編』 好評発売中! ★ 2530円(本体2300円+税) 明治4年3月1日(1871年4月20日)にわが国の近代郵便が創業され、日本最初の切手が発行されて以来、150年間の歴史を豊富な図版とともにたどる3巻シリーズの第1巻。まずは、1945年の第二次大戦終戦までの時代を扱いました。今後、2021年11月刊行予定の第2巻では昭和時代(戦後)を、2022年3月刊行予定の第3巻では平成以降の時代を取り扱う予定です。 ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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