2020-12-26 Sat 01:43
今年1月末に欧州連合(EU)を離脱した英国とEUは、24日午後(現地時間)、移行期間終了後の2021年以降も関税ゼロでの貿易を続けられるよう、新たな経済関係を定めた自由貿易協定(FTA)の締結で合意しました。これを受けて、英首相官邸は「ブレグジット(英国のEU離脱)を実現した。これからは、待ち受ける素晴らしい機会を全面的に活用することができる」とのコメントを発表。「2016年の国民投票と昨年の総選挙で英国民に約束されたすべてのことが、この合意で実現する」、「私たちは自分たちの金、国境、法律、貿易、そして漁業水域の決定権を取り戻した」と述べています。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、英国のEU離脱派が作った宣伝封筒(私製)の使用例(2002年1月18日、イングランドのリスカードからダヴェントリー宛)で、斜線で抹消されたEU旗の上に“外国の支配は避けよう”とのスローガンが入ったイラストが入っています。 1973年にEC(当時)に加盟した当初から、英国内には、「このままでは大陸ヨーロッパに飲み込まれてしまう」という危機感、「加盟しないほうがよかったんじゃないか」という声が常にありました。 英国の反ECの主張は、当初は、むしろ左派である労働党が、資本主義批判ないしグローバリズム批判の路線で離脱を唱えていました。実際、サッチャー政権時代の1983年の選挙で労働党は、ECからの「完全離脱」を主張しています。しかし、このときの選挙で労働党は負けてしまいました。 その後、1985年に欧州単一市場と域内の政治協力を正式に決めた“単一欧州議定書”がEC内で採択され、翌1986年の調印を経て、1987年から発効。この議定書が欧州共同体(EC)から後の欧州連合(EU)にステップアップするひとつの土台になりましたが、サッチャー政権は国民投票なしに議定書を批准します。 さらに、1989年11月にベルリンの壁が崩壊し、翌1990年10月には東西ドイツが統一されるなど、まさに欧州が激動するタイミングで、1990年10月、英国は欧州為替相場メカニズム(ERM)に加わりました。しかし、ERMではそれぞれの通貨の為替相場変動幅が一定枠内に固定されるので、加盟国は独自の通貨政策を取れません。ERMそのものは1979年から存在しており、当初、ドイツマルクに固定されることを嫌った英国は加入を見送っていましたが、統一ドイツの誕生という欧州の大変動を受けて、加入せざるを得なくなった格好です。これが保守党分裂の火種になり、党内をまとめきれなくなったサッチャーは首相辞任に追い込まれました。 はたして、1992年9月、通貨投機の圧力を受けて、ポンドの為替レートが急落し、いわゆるポンド危機が起こると、結局、英国はERMを脱退して通貨政策の独自性を回復しました。 一連の混乱の中、1993年、ついに欧州連合(EU)が発足。経済連合から政治連合へと進化しました。さらに、1999年1月に加盟国のうち19カ国で共通通貨ユーロが導入されますが、英国は最終的にユーロの導入を見送っています。 ところで、EU発足の前年にはEUの創設を定めたマーストリヒト条約が調印され、デンマーク、フランス、アイルランドは、同条約を批准するために国民投票をしましたが、英国は国民投票を行っていませんでした。憲法の慣例上、議会主権にしたがって、マーストリヒト条約の批准は、国民投票の対象外だというのが、当時の英国政府の説明でしたが、これが話をこじらせます。国家の大幅な主権の変更に関わってくる問題について国民投票が行われなかったので、反EU派は民意が無視されたことに強く反発しました。 これを機に、英国では反EU派の政党として、国民投票党と独立党が生まれます。国民投票党は数年で解散しましたが、独立党は「英国は再び、直接かつ唯一英国の有権者が責任を負う議会によって有権者の必要に応じて定められた法律によって支配されるべきだ(=英国は、もう一回、独立を取り戻すべきだ)」との基本理念を掲げ、2000年代にはEU加盟継続の是非を問う国民投票の実施を訴えて党勢を拡大していきました。 今回ご紹介の封筒も、こうした状況の下で制作されたものですが、当初は、反EU色がより鮮明で、EUをナチスに見立てて下のようなイラストが入った封筒も使われていました。さすがに、欧州域内でカギ十字を持ち出すのは刺激が強すぎて、批判を浴びたため、後に、今回ご紹介のカバーのようなイラストに変更されたわけですが…。 独立党は、2004年の欧州議会議員選挙では270万票という英国内分の票の16.8%を獲得し、欧州議会において12議席を獲得。もっとも、2議席は詐欺疑惑の後に取り消され、一議員が内部抗争の末に離党するなど、この時点での独立党は、政党として未熟な感が否めませんでした。 しかし、翌2005年の英国総選挙では独立党は60万3298票(得票率2.2%)を獲得。2008年4月に無所属の保守派議員であるボブ・スピンクが移籍してきたことで党は下院に初の議席を獲得(後に離党)しています。 さらに、2009年の欧州議会議員選挙では、独立党は英国内分のうち約17%の票を獲得し、英与党の労働党を抑えて2位になり、2013年の英国統一地方選挙では8議席から147議席へと躍進しました。 独立党の支持拡大を受けて、保守党のデビット・キャメロン政権は国民投票を行うと約束してしまいます。キャメロン本人は残留派でしたが、2016年の国民投票では離脱派が過半数となり、キャメロンは辞任に追い込まれ、最終的に英国はEUから離脱したのです。 ちなみに、ブレグジット賛成派の心情を説明したものとしては、日本メディアの質問を受けたある英国人の回答が秀逸です。 「EUは嫌だよ。日本の国会が北京にあって、最高裁がソウルにあったら、君たちだって嫌だろう」 なお、この辺りの事情については、拙著『みんな大好き陰謀論』でもいろいろご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手に取ってご覧いただけると幸いです。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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