2020-12-21 Mon 02:58
きょう(21日)、木星と土星が約20年に一度会合する“グレート・コンジャンクション”が起こります。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、2018年3月20日、インドが発行した“太陽系”の切手8種を収めた切手シートで、シート内では、木星の切手と土星の切手がすぐ近くに並んで配されています。 木星は約12年、土星は約30年の周期で太陽の周囲を公転しており、公転周期の違いから、約20年毎に木星と土星は黄道12星座の同じ星座内に見える“会合”が発生します。今回の会合は、日本では12月21日の日の入り後に、南西の低空でわずか0.1度まで大接近しますが、二つの星が0.1度以内に接近するのは、1623年7月17日以来、約400年ぶりのことで、次回の大接近は2080年3月15日の予定です。 さて、今回ご紹介の切手シートを発行したインドの宇宙開発は、1961年、科学技術の発展を重視していたネルー首相が、原子力省を宇宙研究開発の担当と決め、翌1962年に物理学者ヴィクラム・サラバイを長とするインド国立宇宙研究委員会 (INCOSPAR) を立ち上げたことで本格的にスタートしました。 米ソ両国が弾道ミサイル技術を発展させて宇宙ロケットの技術を獲得したのに対して、インドは、当初から、人工衛星の打ち上げを目標としていました。その背景には、開発責任者のサラバイが、NASAの通信・放送衛星に関する研究に参加した経験から、軍用よりも民生用の衛星ロケットの開発に関心を持っていたためといわれています。 サラバイは、研究の最初の目標として、放送衛星とその打上機(SLV)の開発を目指し、ケーララ州に設けられたトゥンバ赤道ロケット打上基地(TERLS)では、観測ロケットの打ち上げを繰り返しました。 サラバイは1971年に亡くなりますが、その4年後の1975年、インド初の人工衛星としてアリヤバータの打ち上げが成功します。です。ちなみに、アリヤバータは、西暦5-6世紀のグプタ朝の時代に活躍した数学者・天文学者で、23歳の時に書いたとされる『アーリヤバティーヤ』は、地動説にたつ宇宙モデルを提示するなど、当時としてはきわめて革新的な内容でした。 人工衛星のアリヤバータは、X線天文学、超高層大気学、太陽物理学の実験を行うために制作されたもので、制作はインドが独自に行いましたが、1975年4月19日の打ち上げは、インド自前のSLVによってではなく、ソ連によってカプースチン・ヤールからコスモス3Mロケットで打ち上げられました。衛星は、軌道到達の4日後には、電力問題によって実験を中断せざるを得なかったのですが、それでも、インドの宇宙開発史の華々しい成果として、その雄姿は、1976年から1997年まで、2ルピー紙幣の裏面に使用されていました。なお、インドが自前のSLVによる衛星の打ち上げに成功したのは1980年のことです。 宇宙探査計画としては、2003年8月、月面地図の作成と、月の地殻・氷の観測を目的とするチャンドラヤーン計画が発表され、2008年10月22日、2年間の探査計画でチャンドラヤーン1号がサティシュ・ダワン宇宙センターから打ち上げられました。さらに、この成功を受けて、ロシアと共同で、月周回機と着陸機、月面車による月面土壌の研究を目的としたチャンドラヤーン2号の打ち上げが計画されます。しかし、2011年、ロシアによる火星探査計画“フォボス・グルント”が失敗したことなどから、計画はインド単独で進めるよう変更され、2019年7月の打ち上げでは、8月に月周回軌道へ投入されました。(ただし、着陸には失敗) さらに、インド政府は、2012年8月、2013年の打ち上げを目標とする火星探査計画として火星周回探査機“マーズ・オービター・ミッション(MOM)”を発表。2013年11月5日、MOMはサティシュ・ダワン宇宙センターよりPSLV-XLロケットを使用して打ち上げられ、2014年9月24日、火星周回軌道への投入に成功します。これにより、インドはアジアで初めて火星周回軌道に探査機を投入した国となっりました。 ★ 内藤陽介の最新刊 『日本人に忘れられたガダルカナル島の近現代史』 ★ 本体1600円+税 出版社からのコメント 【中国の札束攻勢にソロモン諸島は陥落寸前!】 日本軍の撤退後、悲劇の激戦地は いかなる歴史をたどり、 中国はどのように浸透していったのか 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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