2019-11-16 Sat 04:15
かねてご案内の通り、えにし書房から発売予定(奥付上の刊行日は11月25日)の拙著『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』の現物ができあがりました。
![]() つきましては、主催者の公益財団法人・日本郵趣協会のご厚意により、東京・浅草の都立産業貿易センター台東館で開催中の全国切手展<JAPEX 2019>会場内でも販売させていただくことになりましたので、そのご報告とともに、刊行のご挨拶を申し上げます。(画像は表紙のイメージ) ![]() 2015年に上梓した旧版の『アウシュヴィッツの手紙』は、思いがけずご好評をいただき、おかげさまで在庫もほぼなくなりました。また、同書の刊行以降、 Postal History of Auschwitz 1939-1945 と題するコレクションを、2017年のブラジリア、2018年のエルサレムと2度の世界切手展に出品し、マテリアルもかなり充実してきました。 そこで、このたび、11月25日付で同書の改訂増補版を出版することになりました。今回の拙著は、改訂増補版という性質上、基本的には旧版の構成を踏襲していますが、旧版の第三章「III アウシュヴィッツの手紙」の部分については、資料のみならず記述面でも大幅に加筆したことから、アウシュヴィッツ第一および第二収容所とその郵便について扱った「III アウシュヴィッツの手紙」と、モノヴィッツの第三収容所ならびに外国人労働者とその郵便を扱った「IV モノヴィッツおよびI.G.ファルベンと郵便」の二章に分割し、そのうえで、旧版同様、最終章として「V アウシュヴィッツの戦後史」を加えて、全体を五章構成としています。もちろん、旧版に見られた誤記などは可能な限り修正するよう心掛けたほか、ポーランドの切手・郵便史の大家として国際的にも著名な山本勉氏のご指導を得て、固有名詞の表記なども全面的に見直しています。 なお、旧版ならびに改訂増補版を通じて、『アウシュヴィッツの手紙』を通じて、僕がいいたかったことを、今回の改訂増補版の「あとがき」としてまとめてみました。少し長いのですが、その主要部分を転載しますので、お読みいただけると幸いです。 ***** 被爆地としての広島は“ヒロシマ”とカナ書きにされることがある。その理由としては、しばしば、原子爆弾の惨禍と平和の尊さを世界に発信するため、一般的な地名の“広島”とは区別するためだとの説明がなされることがある。 被爆地として“世界のヒロシマ”であることを強調するために、あえてカナ書きのヒロシマを使おうという意図は、それなりに尊重されるべきではあろう。 しかし、厳島神社と平家の故地であり、日清戦争の際には首都がおかれた軍都であり、第二次大戦後は広島東洋カープの本拠地となってきたことなどをすべて捨象して、“ヒロシマ”を被爆地としてのみ語ることには、筆者はぬぐいがたい違和感を抱いてきた。やはり、“広島”が包摂してきた歴史的連続性の中に位置づけることによってこそ、被爆地としての“ヒロシマ”の意義も明瞭に浮かび上がってくるのではないだろうか。 本書の主題であるアウシュヴィッツについては“ナチス・ドイツによるホロコーストの象徴的な場所”としてのみ語られることが圧倒的に多い。 さらに、2018年、現在のオシフィェンチムの主権者であるポーランド国家が、ポーランド(人)のホロコーストへの加担を批判することや、ポーランド国内に存するという意味で“ポーランドのアウシュヴィッツ”ということを違法としたという報道に接し、筆者は強い衝撃を受けた。 今後、(すくなくともポーランド国内では)“アウシュヴィッツ”とオシフィェンチムとの歴史的連続性は否定され、アウシュヴィッツはただ単に、他から孤立・断絶した歴史上の汚点とされていくだろうし、その結果、これまで以上に、“ホロコーストの場所”としてのみアウシュヴィッツ/オシフィェンチムを語る(=ホロコースト以外のアウシュヴィッツ/オシフィェンチムの歴史をすべて捨象する)傾向が世界的にも強まるかもしれない。 はたして、それが妥当なことだろうか。 本書でも縷々述べてきたように、オシフィェンチムには、中世以来、小さいながらも公国が存在し、18世紀末のポーランド国家消滅後、第一次大戦までこの都市はハプスブルク帝国の支配下で地域の物流拠点となっていた。そして、そうした背景があったがゆえに、ナチス・ドイツは、この地に巨大な収容所を建設したのである。 もちろん、ナチス・ドイツが国策としてホロコーストを遂行し、アウシュヴィッツなどの収容所では、夥しい数のユダヤ人がガス室で処刑され、あるいは、過酷な重労働を課せられたことは紛れもない事実であり、それらは“人道に対する罪”として未来永劫、批難され続けるべきものだろう。アウシュヴィッツがその象徴として語り継がれていくべきであるのは当然のことだ。その意味で、筆者は、たとえば「ガス室はなかった」という類の主張には絶対に与しないし、ナチスの蛮行を擁護するつもりも毛頭ない。 しかし、“アウシュヴィッツ”がユダヤ人大量虐殺の場としてのみ語られることで、アウシュヴィッツ/オシフィェンチムのさまざまな相貌を、意図的に歴史の闇に埋没させてしまってもかまわないということにはならないはずだ。 そもそも、アウシュヴィッツはポーランド人を対象とした収容所として出発し、それゆえ、収容者の多くがキリスト教徒であったという事情もあって、所内では(ささやかながら)クリスマスが祝われることもあった。 また、収容者は、大きな制約を受けながらも、郵便を通じて外部世界との連絡を保ち、ともかくも、自分が生存しているとの情報を発信することができた。ちなみに、第二次大戦後、あらゆる国際法を無視して多くの日本人をシベリアに連行したソ連当局は、終戦から1年以上後の1946年10月まで、ソ連は日本人抑留者と家族との通信を認めていない。 さらに、アウシュヴィッツの収容者には家族等からの食糧や現金の差入も認められており、収容所当局は、組織としてはそれを横領することなく、それらを誠実に収容者に届けていた。逆に言えば、収容者を劣悪な環境の下に置き、文字通り死ぬまで働かせる、あるいは、働けないと判断したら容赦なくガス室に送って虐殺するという非道の限りを尽くしていながら、収容者宛の郵便物や送金、小包などはしかるべき相手に律儀に渡していたというグロテスクなアンバランスこそが、ホロコーストを“日常業務”として淡々とこなしていたナチスの体制の異常さを浮き彫りにしていると見ることもできる。 もちろん、アウシュヴィッツの収容者は常に死と隣り合わせの環境にあり、彼らへの送金や通信を認めていたからといって、ナチスが収容者の人権にも配慮していたとはいえないのは当然である。 しかし、“アウシュヴィッツ”を正確に理解しようとするなら、そして、ボーア戦争時のconcentration camp以来の世界の“強制収容所”の歴史の中で“アウシュヴィッツ”を位置づけようとするなら、こうした点を見落としてはなるまい。 そして、“アウシュヴィッツ”が解放されても、決してポーランドのユダヤ人に対する迫害は収まったわけでなく、むしろ、ポーランドの共産主義者たちは、ユダヤ人への迫害を含め、ナチス・ドイツに勝るとも劣らぬ抑圧的な体制を敷き、あろうことか、“アウシュヴィッツ”を利用して、それを糊塗しようとさえしてきた。 アウシュヴィッツ/オシフィェンチムを“ホロコーストの象徴”として矮小化(あえてこう言う)するのではなく、数奇な歴史をたどってきた都市の全体像を正確に理解しようとするなら、いずれも、避けて通ることのできないポイントだろう。 筆者は、これまで、郵便学者として、切手や郵便物を通じて、歴史や国家のありようを再構成しようとしてきたが、そうであればこそ、歴史上の特定の出来事やその前後での変化もさることながら、対象となる国や地域の歴史的連続性(ないしは不変の要素)をできるだけ描きたいと思っている。本書もその試みの一つだが、その成否については、読者諸賢に判断をゆだねたい。 ***** 今後、書店の店頭などで実物をご覧になりましたら、ぜひ、お手にとってご覧いただけると幸いです。 なお、本書をご自身の関係するメディアで取り上げたい、または、取り上げることを検討したいという方は、ご連絡いただければ資料をお送りいたしますので、よろしくお願いいたします。 ★★ 講座のご案内 ★★ 12月以降の各種講座等のご案内です。詳細については、各講座名をクリックしてご覧ください。 ・よみうりカルチャー 荻窪 宗教と国際政治 毎月第1火曜日 15:30~17:00 12/3、1/7、2/4、3/3(1回のみのお試し受講も可) ・日本史検定講座(全8講) 12月13日(日)スタート! 内藤は、全8講のうち、2月20日の第6講に登場します。 ・武蔵野大学生涯学習秋講座 飛脚から郵便へ―郵便制度の父 前島密没後100年― 2019年12月15日(日) (【連続講座】伝統文化を考える“大江戸の復元” 第十弾 ) ★ 最新作 『アウシュヴィッツの手紙 改訂増補版』 11月25日発売!★ ![]() 出版社からのコメント 初版品切れにつき、新資料、解説を大幅100ページ以上増補し、新版として刊行。独自のアプローチで知られざる実態に目からウロコ、ですが淡々とした筆致が心に迫る箇所多数ありです。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、本書の目次をご覧いただけるほか、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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