2019-05-23 Thu 01:58
南アフリカ共和国(以下、南ア)の国民議会(下院)はきのう(22日)、本会議を開催し、今月8日の総選挙で過半数を獲得した与党アフリカ民族会議(ANC)の議長で現職のラマポーザ氏を大統領に選出しました。というわけで、きょうはこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1982年にソ連が発行した“ANC70年”の切手で、ANCの旗をバックに振り上げた拳が描かれています。 ANCの前身にあたる南アフリカ先住民民族会議(SANNC:South African Native National Congress)は、1912年1月8日、同国中部のブルームフォンテーンの教会で設立されました。 SANNCは南アフリカにおける先住民族の権利獲得をめざす政治団体で、翌1913年に施行された「原住民土地法」(たとえば人口の70%を占める黒人の居住地は国土の13%に制限され、国内の移動を制限される通行証の携帯を義務付けられていました)に反対するためのデモや陳情運動を展開し、1914年には原住民土地法に抗議するための代表団をロンドンに派遣しています。その後、1923年に現在の名称であるANCに改称しました。 1948年、南アでは、連合党政権の“対英従属・(オランダにルーツを持つ)アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進。政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。 当然のことながら、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されることもありました)に抗議するデモ隊に會艦隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(MK:uMkhonto we Sizwe))を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行いました。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の収容所に送られました。その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となります。 この過程で、西側陣営の一角を占める南ア政府に対する反対勢力として、ソ連はANCの武装闘争を支援。武器の提供のみならず、2000人に及ぶMKの戦闘員の訓練も行ないました。今回ご紹介の切手はこうした背景の下で発行されたものですが、東側諸国の支援を受けたANCは、米国政府により“テロリスト団体”に指定されていました。 南ア政府の弾圧により、MK は壊滅的な打撃を受け、1970年前後にはその活動も大いに低迷しましたが、この時代にもソ連はANCならびにMKを存続させるためにさまざまな支援を行っていました。また、ANCは、1975年に独立したアンゴラのアンゴラ解放人民運動 (MPLA)と密接な関係にあり、アンゴラに派遣されたキューバの軍事顧問団の下、アンゴラで軍事訓練を受けています。 こうして、南ア国外で訓練を受けたMKの戦闘員は、1976年のソウェト蜂起後、続々と南ア入りし、各地で破壊活動を展開。国際世論の圧力と併せて、南ア政府にアパルトヘイト政策の撤廃を決断させることになりました。 その後、マンデラは当時の南ア大統領、フレデリック・デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、デクラークとともに1993年度のノーベル平和賞を受賞。さらに、1994年4月に行われた南ア史上初の全人種参加選挙でANCを勝利に導いて大統領に就任し、1999年に大統領職を退くまで民族和解・協調を呼びかけ、黒人ととの対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済復興などに尽力しました。 マンデラ没後も、現在に至るまで、25年以上にわたってANCは政権を維持し続けていますが、長期政権ゆえの腐敗は避けがたく、ズマ前政権下では汚職が蔓延し、失業率が20%台後半で高止まりするなど景気も低迷。このため、昨年(2018年)2月にはズマが失脚し、元実業家のラマポーザが後継大統領となりましたが、支持率の低下は収まらず、今回の総選挙ではANCは2014年の前回選挙から19議席減らし、1994年以降、最低の230議席を獲得するにとどまりました。 ★★ 〈岡田英弘三回忌 シンポジウム〉岡田英弘の歴史学とは何か ★★ ![]() 2019年 5月26日(日) 14:00~ (13:30開場/17:00終了予定) 早稲田大学 3号館 704教室 (東京都新宿区西早稲田1-6-15/東京メトロ東西線「早稲田駅」徒歩5分 副都心線「西早稲田駅」徒歩17分) * 資料代として1000円が必要です。 “世界史”は13世紀モンゴルから始まった!! 朝鮮史を出発点に、満洲史、モンゴル史と深めてゆくなかで、「13 世紀のモンゴル帝国がユーラシア大陸の東西をつなぎ、“世界史”が始まった」と、「世界史とは何か」を初めて提示しえた歴史学者、岡田英弘氏(1931-2017)。その仕事を改めて見直し、次代に継承する! このシンポジウムに、内藤も登壇してお話しします。宜しかったら、ぜひ、ご参加ください。 お申し込みやイベントの詳細はこちらをご覧ください ★★ 内藤陽介の最新刊 『チェ・ゲバラとキューバ革命』 好評発売中!★★ ![]() 【出版元より】 盟友フィデル・カストロのバティスタ政権下での登場の背景から、“エルネスト時代”の運命的な出会い、モーターサイクル・ダイアリーズの旅、カストロとの劇的な邂逅、キューバ革命の詳細と広島訪問を含めたゲバラの外遊、国連での伝説的な演説、最期までを郵便資料でたどる。冷戦期、世界各国でのゲバラ関連郵便資料を駆使することで、今まで知られて来なかったゲバラの全貌を明らかする。 本書のご予約・ご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
#2494 切手の意味
今回の切手、1980年前後を連想させるデザインという印象です。同時にピカソが頭に浮かぶました。アフリカ、ソ連、アメリカとピカソが関連した国でもあり、平和への戦いのイメージからそう思ったのかもしれません。
そもそもソ連がその時の情勢によって切手を発行するということは、政治的な動きの1つといいますか、国としての在り方の象徴の1つなのかなぁ…。ソ連だけではないと思いますが。 #2498 コメントありがとうございます
・Keiko Hirose様
ピカソの「平和のハト」は、いろいろな形で切手にも取り上げられているので、いずれじっくりとり産んでみたいと思ってます。ちょっと先ですが、2023年の没後50年ぐらいがタイミングとしては良いかなぁ。 #2519 ぜひ! 楽しみにしています
ピカソがフランス共産党に入党した目的やその頃の共産主義がどんなものなのか、ずっと知りたいと思っています。郵便資料から何か手掛かりがあるといいなぁ。楽しみにしています。
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