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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 マンデラ元大統領没す
2013-12-06 Fri 10:11
 南アフリカ共和国(以下、南ア)のネルソン・マンデラ元大統領が、日本時間のけさ未明、亡くなりました。享年95。謹んでご冥福をお祈りいたします。という訳で、きょうはストレートにこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

       マンデラ大統領

 これは、1994年5月10日に南アで発行されたマンデラ大統領就任の記念切手のうち、大統領の肖像を描く45セント切手です。

 ネルソン・マンデラは、1918年7月18日、東ケープ州トランスカイのウムタタ近郊クヌ村で、テンブ人の首長の子として生まれました。ウィットワーテルスランド大学法学部在学中の1944年、アフリカ民族会議(ANC:African National Congress)に入党し、独立運動家としての道を歩き始めます。

 1948年、南アでは、連合党政権の“対英従属・アフリカーナー軽視”を徹底的に批判する国民党が総選挙で第一党に躍進。政権を獲得しました。このときの選挙キャンペーンとして、国民党が大々的に掲げたのが、アフリカーンス語で分離ないしは隔離を意味する“アパルトヘイト”のスローガンです。

 首相となった国民党のマランは、もともとオランダ改革派教会の聖職者で、「アフリカーナーによる南ア統治は神によって定められた使命である」との信念の下、「国内の諸民族をそれぞれ別々に、純潔を保持しつつ存続させることは政府の義務である」と主張。1950年、全国民をいずれかの“人種”に分類するための人口登録法を制定し、これと前後して、人種間通婚禁止法や背徳法(異人種間の性交渉を禁止する法律)を制定。さらに、都市およびその近郊の黒人居住地から黒人を強制移住させ、その跡地を白人(主としてアフリカーナー)のために区画整理するなどの、差別的政策を強行していきました。

 当然のことながら、ANCはこれに抵抗。1955年6月には、人種差別に反対する多人種の人民会議の開催を呼びかけ、ヨハネスバーグ近郊のクリップタウンで“人種差別のない民主南アフリカ”を目指す「自由憲章」を採択し、1960年には当時議長のアルバート・ルツーリがアフリカ出身者として初のノーベル平和賞を受賞しました。

 ところで、当初、ANCは非暴力主義を掲げていましたが、1960年3月、通行証制度(南アの非白人は身分証に相当する“通行証”の携帯を義務付けられ、不携帯の場合は特定の地域に入れなかったり、甚だしくは逮捕されることもありました)に抗議するデモ隊に會艦隊が発砲し、67名が犠牲となるシャープビル事件が発生すると、これを機に、副議長のネルソン・マンデラを指揮官とする軍事部門、ウムコント・ウェ・シズウェ(“民族の槍”の意味)を設立し、武装闘争もやむなしの路線転換を行いました。これに対して、南ア政府は非常事態宣言を発してANCを非合法化。1963年にはマンデラら幹部が一斉逮捕され、ロベン島の収容所送りとなりました。

 その後、マンデラの身柄は、1982年、ケープタウン郊外のポルスモア刑務所に移監されましたが、1990年2月の釈放まで、彼は27年間を獄中で過ごし、アパルトヘイトに抵抗する南ア黒人の象徴的な存在となりました。

 釈放後のマンデラは、1991年にANC議長に就任。当時の大統領、フレデリック・デクラークと協力して全人種代表が参加した民主南アフリカ会議を2度開き、デクラークとともに1993年度のノーベル平和賞を受賞しました。さらに、1994年4月に行われた、南ア史上初の全人種参加選挙でANCは勝利を収め、マンデラは大統領に就任。1997年に大統領職を退くまで民族和解・協調を呼びかけ、黒人ととの対立や格差の是正、黒人間の対立の解消、経済復興などに尽力したことは、周知のとおりです。

 なお、マンデラと南アの現代史については、拙著『喜望峰』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。

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 詳細はこちら。皆様の御参加を、心よりお待ちしております。


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