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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手に見るソウルと韓国:朝鮮半島の元号
2019-05-10 Fri 01:10
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』4月19日号が発行されました。僕の月一連載「切手に見るソウルと韓国」は、今回は、平成から令和への御代がわりにあわせて、朝鮮半島で使われた元号についてご説明しましたが、その記事の中から、きょうはこの1点をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

      朝鮮・建陽元年

 これは、“建陽元年”の漢城(ソウル)の消印が押された朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代の切手です。

 朝鮮半島の独自の元号としては、西暦391年、高句麗の広開土王が独自の年号として“永楽”を用いたのが最初とされています。

 その後も三国時代の高句麗や新羅ではいくつかの独自年号が使われましたが、新羅では統一王朝となる直前の650年以降、唐の“永徽”が導入され、その後は中国の年号が使用されました。

 918年に建国した高麗は、933年まで“天授”の年号を用いましたが、その後は、中国の年号を採用。950-51年に独自の元号として“光徳”としたものの、その後は再び、滅亡まで中国の年号を使用しています。

 1392年に建国された朝鮮王朝(李氏朝鮮)は、当初から明の冊封体制に組み込まれていたため、明の年号をそのまま用いていました。その後、清に服属するようになると、公式には清の年号が用いられましたが、国内の文書では、“夷狄”の清に対する反感と自らを“小中華”とするプライドから、干支と国王の在位紀年(例:世宗X年のような紀念法)が用いられたほか、明の最後の元号である“崇禎”も使われていました。

 これとは別に、おそらく19世紀半ばごろから、朝鮮王朝が建国された1392年を紀元とする“開国”の年号も使われています。開国年号の期限は定かではありませんが、1876年に調印された日朝修好条規には「大朝鮮國開國四百八十五年丙子二月初二日」の日付が記されているほか、1883年10月31日創刊の『漢城旬報』にも「朝鮮開國四百九十二年」の用例があります。なお、甲午改革の一環として開国年号が公式に採用されるのは、日清戦争開戦後まもない1894年7月27日のことでした。

 朝鮮の近代郵便事業は1884年にいったん創業されるものの、甲申事変により半月ほどで途絶しましたが、1895年、甲午改革の一環として再開され、“大朝鮮XX年”との表記で開国年号が使用されました。

 日清戦争の結果、下関条約により朝鮮が清朝の冊封体制から脱して独立国になると、これに伴い暦法も改められ、太陰太陽暦(太陰暦をベースに閏月を入れて季節を調節する暦)での開国504年11月17日(=1896年1月1日)をもってグレゴリオ暦を採用するとともに、新元号“建陽”を立てて、この日を建陽元年1月1日としました。

 建陽という語は、朝鮮半島では、(旧暦)新年に門扉に貼られるお札、立春帖に書かれる「立春大吉 建陽多慶」の文言で広く知られるもので、直訳すると「春を迎えた暖かい気運で、慶事多かれ」という意味ですが、新時代の到来を寿ぐ意味を込めて元号として採用されたものと思われます。

 ところで、建陽の元号が立てられた時点では、国号は朝鮮のままでしたが、宮廷ではもはや清の藩属国でなくなった以上、冊封体制下の地方君主の称号である“国王”号を使用することは望ましくないという儒者の建言に従い、1897年10月12日、国号が朝鮮から“大韓”に変更され、翌13日、国王・高宗は皇帝として改めて即位します。その過程で、同年8月14日をもって、元号も建陽から光武に改元されました。

 その後、光武年号は高宗の在位期間は使われていましたが、1907年6月、いわゆるハーグ密使事件が起きたことで、同年7月20日、皇帝が退位に追い込まれると、8月2日、“隆熙”に改元されます。しかし、すでに1905年7月1日をもって、大韓帝国の郵便事業は日本に接収され、日本の郵便局が朝鮮内の郵便を取り扱い、郵便物の消印も日本の明治年号が入ったものが使われていました。ただし、大韓帝国最後の皇帝、純宗の即位を記念して使用された記念印には、例外的に、「明治40年8月27日」とともに「隆熈元年陰暦7月19日」の表記があります。

 * 当初の記事では、「隆熙年号の消印は存在しない」と書いていましたが、ありがたや商事さんからコメント欄にあるようなご指摘を頂きました。読者の皆様にはお詫びして本文を修正するとともに、ありがたや商事さんにはこの場をお借りしてお礼申し上げます。


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この記事のコメント
#2485 隆熈年号の消印は存在する
隆熈年号の消印は実は存在しますよ。それは、大韓帝国最後の皇帝純宗が即位した時に韓国統監府から即位の記念絵はがきが発行されており、その際に記念印が使用されており、その記念印に「隆熈」の年号が入っています。記念印には「明治40年8月27日」の表記と共に「隆熈元年陰暦7月19日」と併記されています。あくまでも日本側で作られた物ではありますが。
2019-05-10 Fri 21:34 | URL | ありがたや商事 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
・ありがたや商事様
 ご指摘ありがとうございます。たしかに仰せの通りで、本文を修正いたしました。今後ともよろしくご指導ください。
2019-05-11 Sat 00:55 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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