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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 アイゼンハワー没後50年
2019-03-28 Thu 03:46
 米国のドワイト・アイゼンハワー元大統領が、1969年3月28日に亡くなって、ちょうど50年です。というわけで、きょうはこんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      アイゼンハワー・無料便

 これは、1961年10月19日、大統領退任後のアイゼンハワー名義で差し出された無料郵便のカバーです。

 米国では大統領経験者やその夫人(未亡人を含む)には郵便物を無料で送ることができる特権が与えられているため、彼らの差し出す郵便物には、そのことを示すサイン(の印刷)が封筒に表示されます。今回ご紹介のカバーでは、退任後のアイゼンハワーが隠棲していたペンシルベニア州ゲティスバーグの地元局で、彼のサインをデザインした専用の郵便印を使用することで対応しています。

 さて、アイゼンハワーは、1890年10月14日テキサスの農家に7人兄弟の3男として生まれました。高校卒業後、大学進学を希望していたものの、経済的に困難な状況であったため、ベルスプリングのバター工場で働いていましたが、陸軍士官学校と海軍兵学校は授業料が無料であることを知り、陸軍士官学校に進学。1915年に同校を卒業後は、陸軍大学を経て、おもに陸軍省で補給兵站の立案に従事し、1932年、陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーの主任補佐武官となりました。

 1935年、マッカーサーが参謀総長を退任し、フィリピンの軍事顧問に就任すると、マッカーサーの下で、1939年まで現地軍の育成に従事。1940年に米国に戻り、第3師団参謀長、第9軍団参謀長などを歴任し、1941年9月には准将に昇進しました。ただし、この時季までのアイゼンハワーは陸軍官僚としての管理能力は高く評価されていたものの、実戦での指揮経験が全くなく、大きな作戦の司令官となる可能性は低いとみられていました。

 1941年12月の日米開戦後、フィリピンに関する知識を買われ、参謀本部戦争計画局次長に就任。ここで、陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル大将の信任を得て、1942年3月には参謀本部に新設された作戦部の初代部長に就任し、対独作戦として、英国を拠点とした大規模な上陸作戦を立案。同年6月、ロンドンに司令部を置くヨーロッパ戦域の連合国軍最高司令官に着任します。

 1942年11月8日に開始された“トーチ作戦(モロッコとアルジェリアへの連合軍上陸作戦)”では、最高司令官の座を要求するフランスのアンリ・ジロー大将を説得し、北アフリカにおける民政長官の座を与えることで収めたことで、その高い調整能力が評価され、1944年3月、大将に昇進。以後、イタリア戦線の最高指揮官として、ジョージ・パットンやバーナード・モントゴメリーらを調整し、同年9月8日にはイタリア王国との休戦条約を締結しました。さらに、1944年6月、ノルマンディー上陸作戦を指揮してフランスを解放。1944年12月、元帥に昇進し、1945年5月、ドイツを無条件降伏させ、欧州での戦争を終結させました。

 戦後は、1945年11月に陸軍参謀総長に就任。1948年の退役後は、コロンビア大学学長に就任。1950年、北大西洋軍最高司令官となりましたが、1952年の大統領選挙に共和党から大統領選挙に出馬して当選。以後、1953-61年まで2期8年、大統領を務めました。

 大統領1期目は、朝鮮戦争および第一次インドシナ戦争の休戦協定調印などの実績を挙げましたが、1957年に始まる2期目では、東西冷戦の莫大なコスト負担による経済の停滞、人種問題の爆発、さらにソ連に人工衛星打上げで先を越されたスプートニクショック、1960年の安保闘争による日本訪問中止など、政権運営は順調とは言いがたいものでした。

 なお、1959年に発生したキューバ革命に関しては、当初、アイゼンハワー政権は静観の構えを取っていたものの、同年5月17日、カストロ政権が第1次農地改革法を公布し、米国企業の所有する農地を接収すると、キューバに対する経済制裁を発動。この結果、カストロ政権は“敵の敵”であるソ連との関係を強化していくことになります。このあたりの事情については、拙著『チェ・ゲバラとキューバ革命』でも詳しくご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひお手にとってご覧いただけると幸いです。


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