2017-09-17 Sun 05:37
永禄10年8月15日(1567年9月10日) に織田信長が斎藤龍興の居城だった稲葉山城に移り、“井口(いのくち)”と呼ばれていた周辺一帯を岐阜と改称してから、きょうで450年です。というわけで、手持ちのマテリアルの中から、“岐阜”関連で一番派手なモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1886年11月24日、岐阜監獄に収監されていた囚人が差し出した郵便物の封筒で、岐阜を示す“キ”のボタ印(1885年1月から1888年8月末まで使用されました)が押されています。 さて、岐阜という地名の由来には諸説ありますが、中国で縁起の良い地名、岐山、岐陽、岐阜の中から、“岐山(周の文王がここから起ったとされる山)”の“岐”と、“曲阜(魯国の首府にして儒学発祥の地)”の“阜”を併せ持つ“岐阜”を、政秀寺の僧、沢彦宗恩が選び、太平と学問の地であれとの意味を込めて命名した説明されることが多いようです。 関ヶ原の戦いの後、徳川幕府は美濃国に有力な大名が出現しないよう、10万石未満の多数の藩と天領に分割したうえで、現在の岐阜県南部にほぼ相当する地域を天領とし、美濃郡代の陣屋(代官の住居と役所がおかれた建物)として笠松陣屋を設置しました。 維新後の1868年1月、朝廷の命を受けた東山道鎮撫使の竹沢寛三郎は笠松陣屋を天朝御用所に改め、その後、笠松裁判所を経て笠松県に組織変更されます。これに伴い、美濃郡代時代の郡代牢獄を転用した囚獄(旧幕時代の牢屋敷を継承した未決拘禁施設)と徒刑場(既決拘禁施設)が設置されます。 1871年、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い、笠松県を含む美濃国内の9県は岐阜県に統合されますが、笠松地域の囚獄と徒刑場はそのまま維持され、1886年の官制改革により、“岐阜監獄”と改称されました。今回ご紹介のカバーは、同年の差し出しですから、“岐阜監獄”の封筒としては初期の使用例ということになります。 岐阜監獄は1922年の官制改革で現在の名称である岐阜刑務所に改称され、1925年に長良西に移転、さらに、1984年に岐阜市則松に移転し、現在に至っています。現在の岐阜刑務所は、短期収容の初犯者および再犯者・若年初犯者・長期収容の再犯者と幅広い分類の受刑者が集まる男子刑務所として利用されています。 さて、今日は午後から、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」にスピーカーとして登壇するため、このあと東京駅に向かいます。今回のイベントでは、憲政史家で『大間違いの織田信長』が話題の倉山満さんとご一緒するのですが、それが岐阜450年の日に重なるというのも何かの因縁かもしれません。会場では、実物が出来上がったばかりの拙著『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』の初売りも行いますので、お近くの方は、ぜひ、ご参加いただけると幸いです。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 2017年9月17日(日) 14:00~、広島県立ふくやま産業交流館で開催の「日本のこころタウンミ-ティング in 福山」に憲政史家の倉山満さんとトークイベントをやります。お近くの方は、ぜひ、ご参加ください。なお、イベントそのものの詳細は、こちらをご覧ください。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 『パレスチナ現代史 岩のドームの郵便学』 ★★★ 本体2500円+税 【出版元より】 中東100 年の混迷を読み解く! 世界遺産、エルサレムの“岩のドーム”に関連した郵便資料分析という独自の視点から、複雑な情勢をわかりやすく解説。郵便学者による待望の通史! 本書のご注文は版元ドットコムへ。同サイトでは、アマゾン他、各ネット書店での注文ページにリンクしています。また、主要書店の店頭在庫も確認できます。 |
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