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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 二の酉
2016-11-23 Wed 11:25
 きょう(23日)は二の酉です。というわけで、一の酉の時と同様、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』の増刷を祈念して、同書で取り上げた“鳥”の切手の中から、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)

      ブラジル・第3回国際フォークソング・フェスティヴァル

 これは、1968年にブラジルが発行した“第3回国際フォークソング・フェスティヴァル”の記念切手で、リオデジャネイロ・アトランティカ通りのカルサーダス(ポルトガル風の石畳の装飾)とポン・ヂ・アスーカルに、鶏の顔をつけたト音記号の楽譜を組み合わせたデザインとなっています。

 リオデジャネイロのコパカバーナ海岸に面したアトランティカ通りは、南端のコパカバーナ要塞から海岸を弧に沿って北東に約3キロ先のプリンセサ・イザベル通りまでの大通りです。

 アトランティカ通りのカルサーダスはホベウト・ブーレ・マウクス(英語風にロバート・ブール・マルクスとも)のデザインによるもので、1970年に完成しました。

 カルサーダスをデザインしたブーレ・マウクスは、1908年、サンパウロ生まれ。父親のヴィルヘルム・マルクスはドイツ・シュトゥットガルト出身のユダヤ系ドイツ人、母親のセシリア・ブーレはブラジル北東部ペルナンブーコ州出身の富裕なフランス系カトリック家庭の出身です。

 ブーレ・マウクスは、当初、画家を目指して父親の祖国であるドイツ・ベルリンに渡り、絵画を学ぶ一方、ベルリンのダーレム植物園に足繁く通って植物についての造形も深めました。1930年、ドイツから帰国した彼は、リオの国立美術学校に入学し、1932年には学内審査会で金賞を受賞。同年、故郷のサンパウロに戻り、自宅周辺の植物を収集し、熱帯原産の植物に合うよう土壌を改良して、欧州スタイルの緑豊かな庭園に仕上げて、最初の作品“マウクス自邸”を発表します。

 この作品が高く評価されたことで、造園家、環境デザイナーとしての地位を確立。ブラジル文部省庁舎屋上庭園(1937年)、ブラジル再保険協会庁舎屋上庭園(1939年)など、公的機関の庭園を手がけるようになりました。1954年にはブラジル大学建築学科風致計画学担当教授に就任するとともに、翌1955年、環境デザインのスタジオを設立し、1960年の新首都ブラジリア建設に際しては、オスカー・ニーマイヤーが設計した公共施設の景観設計ならびに庭園設計に協力したほか、1965年にはリオのフラメンゴ公園の造成も手掛けています。

 1970年のアトランティカ通りのプロムナード景観設計は、そんな彼の代表作のひとつで、曲線のパターンを取り込んだスタイルは、ブラジル先住民の伝統的な文様が取り込まれています。

 なお、コパカバーナ海岸とその一帯については、拙著『リオデジャネイロ歴史紀行』でも詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。 


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 * 8月6日付『東京新聞』「この人」欄で、内藤が『リオデジャネイロ歴史紀行』の著者として取り上げられました!

       リオデジャネイロ歴史紀行(東京新聞)


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