旧ユーゴスラビア連邦を構成していた6つの共和国のうち、最後まで国家連合を維持していたセルビア・モンテネグロ共和国のモンテネグロで、21日、独立の是非を問う国民投票が行われ、独立賛成派が小差で勝利したとのこと。これにより、旧ユーゴスラビア連邦は、完全に解体される可能性が高くなったようです。
というわけで、今日はこんなカバーを1枚、持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
このカバーは、1945年に旧ユーゴの首都であったベオグラードからアメリカ宛に差し出されたもので、チトーの肖像を描く切手が貼られています。消印の日付は何月なのか良くわからないのですが、裏面にはアメリカの11月18日・20日の到着印も押されています。
第二次大戦中、枢軸諸国によって分割占領されていた旧ユーゴスラビア王国の地域では、ヨシップ・ティトー率いるパルチザンが国土の解放を進め、1943年11月には、はやくも臨時議会と臨時政府を樹立しています。その後、1944年10月にベオグラードを解放したティトーは、翌1945年3月、人民政府を樹立。同年11月には王制の廃止と人民共和国連邦の成立を宣言し、ここに、旧ユーゴが誕生することになります。
今回ご紹介しているのは、まさにそうした社会主義政権としてのユーゴスラビア連邦の揺籃期に差し出されたものですが、すでに、チトーの肖像の切手が日常的に用いられているなど、彼の権力基盤が十分に確立されていた様子がうかがえます。
旧ユーゴの存在は、チトーという強烈なカリスマがいればこそ、のものだったわけで、1980年にチトーが死去すると各地から不満が噴出。まずは、コソヴォで独立運動が起こり、ついでスロベニアで連邦からの分離を求める声が強まっていきます。さらに、クロアチアでは政府がセルビアに牛耳られていることへの不満があり、セルビアはセルビアで人口に比して自分達の権限が押さえ込まれていることへの不満が爆発するなど、情勢は次第に緊張していって、最終的にユーゴ紛争へと繋がっていったことは皆さんご存知の通りです。
ちなみに、チトー(Tito)という名前は「お前(Ti)があれもこれ(to)もしろ」という横柄な文章から取られたものだそうです。とすると、「お前が全部やれ」といわれながら生活している僕なんかは、言葉の本来の意味での“チトー化”が進んでいる真っ只中にあるといえそうです。