2014-08-01 Fri 00:10
きょう(1日)から、東京・錦糸町のすみだ産業会館で全日本切手展(以下、全日展)がスタートします。会期は3日までですので、ぜひ、会場にお運びいただけると幸いです。というわけで、きょうは今回の特別展示「記念切手発行120年」の展示品のなかから、こんなモノをご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1896年8月1日に発行された“日清戦勝”の記念切手のうち、台湾で陣没した北白川宮能久親王(以下、敬称略)を描く2銭切手の原版刷です。郵政博物館所蔵の名品のひとつで、今回は、原版そのものも会場内に展示されます野で、ぜひ、会場にて実物をご覧ください。 さて、偶然ではありますが、きょうは1894年に日清両国が宣戦布告を行い、日清戦争が正式に始まってから、ちょうど120年の日でもありますので、以下、少し詳しくこの切手について解説したいと思います。 日清戦争は1895年4月に下関条約が結ばれ、わが国の勝利に終わりました。これを受けて、逓信省は記念切手の発行を計画。その内容について、以下のような方針を立てて宮内省に伺いの文書を提出します。 今般外征ノ事タル古来未曾有ノ国栄ニ候処 此際戦勝紀念トシテ二種ノ郵便切手 員数ヲ限リ発行ノ計画ニ有是 然ルニ故ラ戦勝ノ意ヲ表彰セサル方 国際上可然ト思量候ニ付 故有栖川宮 故北白川宮両殿下ノ御尊貌ヲ二種ノ各印面へ彫刻致候ハハ 一ハ戦勝ノ紀念ト為リ 一ハ両殿下ノ御偉勲ヲ永ク不朽ニ伝ヘントスルノ微意二有是候間 御差支ノ有無承知致度 此段及御照会候也 この文書を額面どおりに受け止めると、「戦勝の記念切手を発行したいのだが、露骨に戦勝をうたいあげれば、隣国である清国の国民感情を著しく害する可能性がある。したがって、記念切手には、日清戦争中に亡くなった(ただし、“戦死”ではありません)2人の皇族、有栖川宮熾仁親王ならびに北白川宮能久親王の肖像を取り上げ、戦勝とあわせて彼らを偲ぶ意味合いを持たせたい」から、肖像使用の可否を問い合わせることになります。 しかし、これは、日清戦争の勝利を祝うはずの切手を発行するには、あまりにも不自然なロジックではないでしょうか。 そもそも、2人の皇族の肖像を切手に取り上げるという発想は、それまで、人物の肖像を切手に取り上げた経験のない逓信省としては、非常に突飛なもののように思われます。 また、逓信省が宮内省に対して、この照会文書を提出する前に、逓信大臣の白根専一は、2人の皇族の肖像を切手に使うことについて、閣議を経て、口頭で明治天皇に裁可を仰ぎ、許可を得ています。閣議を経ているということは、2人の肖像を切手に取り上げるということが、帝国政府の意思として確定しているということであり、一逓信省の意向というよりも、はるかに重みを持っています。 そこまでして、日清戦争の勝利を祝う記念切手に二人の皇族の肖像を取り上げなければならなかった背景には、戊辰戦争以来、日本国内にくすぶっていた“怨念”の問題があるのではないかと僕は考えています。 今回ご紹介の切手に取り上げられている北白川宮は、1847年、伏見宮家に生まれ、12歳で輪王寺宮公現法親王として上野の寛永寺に入り、門跡となった人物です。このため、戊辰戦争に際しては、彰義隊に担がれて官軍に対する抵抗のシンボルに祭り上げられ、上野の陥落後は東北に落ち延びて仙台藩に身を寄せ、奥羽越列藩同盟の盟主に擁立されています。 その後、彼は許されて還俗して伏見宮家に復帰し、ドイツ留学を経て北白川宮家を相続しました。北白川宮家は1870年、能久の弟、智成が分家して創設されたものの、智成は17歳の若さで夭折し、創設後まもなく宮家断絶の危機に直面していました。 “北白川宮”となった能久は、その後、陸軍に入り、熊本の第6師団長などを歴任。日清戦争に際しては、近衛師団長として台湾に出征しましたが、1895年10月、台南入城後、マラリアのため彼の地で亡くなっています。 日清戦争が始まるまで、多くの日本人にとって“戦争”の体験は、西南戦争ないしは戊辰戦争のそれを意味していました。大日本帝国憲法が発布され、“万世一系の天皇”が大日本帝国を統治するというモデルが制度として完成したものの、国民感情の伏流には、維新の勝ち組と負け組みを分かつ埋めがたい溝が横たわっていました。実際、日清戦争当時の政府高官は薩長閥によってほぼ独占されており、そこからはじかれた者(旧賊軍の系譜を汲む者であれば、なおさらでしょう)は、維新後、20年以上を経た時点でも不遇をかこち続けていました。日清戦争以前の、いわゆる初期議会が、藩閥政府と激しく対立し、政府の側が議会を事実上無視する“超然主義”で臨んでいたことは広く知られています。なお、帝国大学や陸軍士官学校の出身者たちは、出身地とは無関係に立身出世を約束されていましたが、若い彼らが帝国の重役室に入るには、まだ相当の時間が必要でした。 それゆえ、清国という外国との戦争は、20数年前の官軍・賊軍を引きずっていた国内の溝を埋め、帝国の臣民を団結させるための絶好の機会だったわけです。じっさい、日清戦争の開戦とともに、それまで政府と対決姿勢を鮮明にしていた議会は、政府への協力姿勢を打ち出すようになっています。 こうした中で、旧賊軍の象徴的な存在であった元“輪王寺宮”(ドイツへの留学と北白川宮家の相続により、経歴のロンダリングが図られたものの、彼がまぎれもなく“輪王寺宮”であったことは、国民は誰もが知っていました)が、大元帥である天皇の命を受けて遠い異郷の地・台湾で陣没し、国葬をもって送られました。このことは、日本兵の中にいた“旧賊軍の残党”が靖国神社に祀られたことともあわせて、官軍を母胎とする帝国陸軍に完全に吸収されたことの証明にほかなりません。維新以来、日本人の間にくすぶっていた旧賊軍の怨念を浄化する上で、これ以上のモデルはないといってよいでしょう。 もちろん、帝国の指導部は、北白川宮が元“輪王寺宮”であったという経歴を秘匿していたわけではありませんでしたが(ちなみに、能久本人は、戦前は靖国神社には祀られず、台湾各地に創建された神社のほとんどで主祭神とするかたちで“棚上げ”されていましたが、戦後、台湾の神社が破却されたことを受けて、1957年10月4日、筑波藤麿宮司の指揮により靖国神社に合祀されました)、彼が台湾で陣没したという事実は、そうした過去を人々の記憶のはるか彼方に押しやり、戊辰戦争の負の遺産を昇華するうえできわめて有効に機能することを熟知していたはずです。 このような文脈で考えてみると、“日清戦勝”の名目で、官軍の象徴であった有栖川宮と旧賊軍の象徴である北白川宮を同時に切手上に取り上げて顕彰するということは、戊辰戦争の過去を清算するための国家のメディアの使い方として、実に効果的であったと考えられます。そして、それは、結果的に日清戦争の勝利と時期的に重なったことで、台湾を植民地化した“大日本帝国”の新たな誕生を祝うシンボルとして、帝国の臣民に対して、より強い訴求力を持つことになるのでした。 なお、北白川宮の物語は、その後、軍国美談の一つとして、修身の教科書にも取り上げられ、広く人口に膾炙していくことになります。それは、金枝玉葉の身でありながら、自ら異郷の地に赴いて陣没した彼の存在が、「忠義の心を振興せしめ、天皇陛下の御為には一身を捧げて尽くすように心掛けしむる」ための格好の教材とみなされたからに他なりません。 しかし、有栖川宮に関しては、彼が日清戦争の時期に腸チフスで亡くなったという事実が軍国美談のリストに加えられることはありませんでした。このことは、その後の大日本帝国にとって、“北白川宮”という記号が持っていた重要性を雄弁に物語っているといえましょう。 さて、日清戦争の勝利を祝う切手に皇族の肖像を取り上げることが決まると、逓信省ならびに印刷局の現場スタッフは早速作業を開始します。 このうち、北白川宮の肖像は、彼が熊本の第6師団長に在任中の写真を印刷局の細貝為次郎が借り受け、切手の原図を制作しました。 周囲のデザインについては、2銭切手は、肖像を楕円形で囲み、四隅にそれぞれの宮家の家紋が配するものとなりました。ただし、北白川宮家は明治以降の創設で独自の家紋がないため、切手には、宮家共通の家紋である十四葉一重裏菊が取り上げられています。ちなみに、外信書状用の5銭切手では、肖像を囲む枠は円形で、底部に一ヶ所のみ、家紋が入るデザインとなりました。 なお、切手には“戦捷(戦勝)”の文字が入っていませんが、これは、敗戦国である清国への配慮ということもさることながら、やはり、日清戦争の勝利と2人の皇族の追悼という、全く異なる二つの事項を一回の切手発行で強引に記念しようというプランに無理があったためとも考えられます。 さて、今回ご紹介の切手を凹版印刷物としてみた場合、その完成度はきわめて高く、肖像切手としては日本の最高水準にランクするものの一つというのが、専門家の間での一致した見方です。少なくとも、現行の千円札の野口英世の肖像部分や、五千円札の樋口一葉の肖像部分と比べてみると、担当した凹版彫刻家の力量の差は歴然としています。今回の全日展では、有栖川宮の切手の原版と原版刷も併せて展示しておりますので、ぜひ、会場で実物をご覧いただき、“明治の超絶技巧”を味わっていただければ幸いです。 ★★★ トークイベントのご案内 ★★★ 8月2日(土) 14:00より、東京・錦糸町のすみだ産業会館で開催の全日本切手展(全日展)会場内で、新著『朝鮮戦争』の刊行を記念して、トークイベントを開催することになりました。(画像は表紙のイメージ。細かい部分で、若干の変更があるかもしれません) ![]() トークそのものの参加費は無料ですが、全日展への入場料として、3日間有効のチケット(500円)が必要となります。あしからずご了承ください。皆様のお越しを心よりお待ち申しております。 ★★★ 『外国切手に描かれた日本』 電子書籍で復活! ★★★ 1枚の切手には 思いがけない 真実とドラマがある ![]() ![]() 光文社新書 本体720円~ アマゾン・紀伊国屋書店ウェブストアなどで、6月20日から配信が開始されました。よろしくお願いします。(右側の画像は「WEB本の雑誌」で作っていただいた本書のポップです) ★★★ ポストショップオンラインのご案内(PR) ★★★ 郵便物の受け取りには欠かせないのが郵便ポストです。世界各国のありとあらゆるデザインポストを集めた郵便ポストの辞典ポストショップオンラインは海外ブランドから国内製まで、500種類を超える郵便ポストをみることができます。 |
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