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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ニジェール・ウラン鉱山でテロ
2013-05-24 Fri 11:20
 きのう(23日)、マリの北部地域で仏軍が展開するイスラム過激派掃討作戦にニジェールが協力していることへの報復という名目で、イスラム過激派の“西アフリカ統一聖戦運動”が、ニジェール北部アガデズの軍施設とアーリットのウラン鉱山に対して連続自爆テロを行い、ニジェール軍兵士20人が亡くなるなどの犠牲が出ました。というわけで、今日はこの切手です。

       オート・セネガル・ニジェール

 これは、1906年に仏領オート・セネガル・ニジェールで発行された1フラン切手で、現地の女性とバライ総督の肖像が描かれています。オート・セネガル・ニジェールの地域は、現在の国名でいうと、セネガル・マリ・ニジェールにまたがる広大なもので、遊牧系のトゥアレグ人の居住地域ともほぼ重なっています。

 さて、今回襲撃されたアーリットは、ニジェール北西部、アイル産地の西麓に位置しており、1969年にウラン鉱山が発見されました。そして、翌1970年から近郊のアクータで、わが国の海外ウラン資源開発株式会社、フランス原子力庁、ニジェール政府の3者による調査が開始。1974年にアクータ鉱業株式会社が設立され、1978年から採掘が始まりました。なお、アクータ鉱業株式会社の出資比率は、フランスが34%でトップを占め、ニジェールとわが国は25%ずつ、他にスペインが10%などとなっています。

 ニジェール国内のアーリットとアクータの鉱脈は豊かで、最盛期の1980年代には両鉱山で世界のウラン需要の40%を占めるほどでした。ニジェールの総輸出額の90%はウランによって得られたもので、その豊富な資金は1974年に始まるセイニ・クンチェ、アリー・セブの2代に渡る軍事政権を支える原資となりました。

 ところが、1989年秋の東欧革命により東側社会主義諸国が崩壊。同年末には地中海のマルタ島で東西冷戦の終結が宣言されると、戦略物心としてのウランの価値が急落。さらに、ニジェールの軍事政権は、ウラン開発には熱心だったものの、地元民の福祉には無関心であったことから、鉱山周辺では乱開発による砂漠化が進行し、トゥアレグ人たちが遊牧生活を行うこと自体が環境的に困難になっていました。

 このため、生活の基盤を失ったトゥアレグ人の中には、都市に移住する者だけでなく、リビアやアルジェリアに難民として逃れる者が急増。特に、リビアのカダフィ政権は、亡命トゥアレグ人を傭兵として積極的に受け入れ、在リビアのトゥアレグ人が1985年に組織した“ニジェール解放人民戦線”を支援すると言う構図ができあがりました。

 ところで、ニジェール国内では、1989年は9月に新憲法が制定され、12月の総選挙では最高軍事評議会議長(軍事政権のトップ)だったアリー・セブが新憲法下の大統領に当選し、形式的な“民政移管”が行われましたが、その実態は軍事政権とほとんど変わりませんでした。

 こうした状況の下で、1990年2月9日、ニジェールの首都、ニアメのケネディ橋で学生のデモ隊を警官が鎮圧し、3人以上が亡くなるという事件が発生すると、これを機に、学生・労働者による政府への抗議行動が全土に拡大。このため、アリー・セブ政権は国内の宥和のため、難民として海外に逃れたトゥアレグ人に対して帰還して政府に協力すれば援助を行うと約束し、これを信用してアルジェリアから数千人規模のトゥアレグ人がニジェールに帰還したが、期待したような定住支援は受けられませんでした。

 このため、ニジェール政府の対応に不満を持ったトゥアレグ人グループが、1990年5月、リビアならびにアルジェリアとの国境に近いチン・タバラデンの警察署を襲撃。襲撃側の25人を含む計31人が亡くなります。当初、襲撃グループは、トゥアレグの子供たちに対して、学校で彼らの言語であるタマシェク語の教育を行うことを要求していましたが、戦闘を通じて全般的な自治権の要求へとエスカレートしていきます。

 これに対して、ニジェール国軍はアルジェリア国境から近いチン・タバラデンとその周辺のトゥアレグ人数百人を逮捕・拷問・殺害するなど、徹底的な弾圧で応じました。いわゆる“チン・タバラデンの虐殺”です。

 虐殺を逃れたトゥアレグ人たちは、トラオレ独裁政権の統制が弱まりつつあったマリへと拠点を移して抵抗を続けましたが、そのことは、マリ国内のトゥアレグ人の反政府闘争を刺激することになり、1990年6月、アザワド解放国民運動を中心とした武装蜂起が発生しました。

 この時のマリ国内での政府とトゥアレグ人勢力との内戦は1996年に和平合意が成立したものの、隣接するニジェールでは同国政府とトゥアレグ人の対立は解消されず、そのことが、しばしば、マリ国内にも深刻な影響を及ぼすという状況が続くことになります。

 2012年以来のマリ北部での騒乱は、カダフィ政権の崩壊後、マリないしはニジェールからリビアに逃れていた反政府系のトゥアレグ人傭兵が大量にアザワド地域に帰還したことが発端となりましたが、ニジェール大統領のマハマドゥ・イスフによれば、すでに昨年6月の段階で、アザワドのイスラム勢力の中にはアフガニスタンとパキスタンからの原理主義系の義勇兵が参加していたといわれており、反政府闘争の主導権が次第にイスラム過激派に移っていったことで、フランスが軍事介入せざるを得なくなったという構図になっています。

 いずれにせよ、かつてニジェールの混乱がマリに影響を及ぼしたのと同様に、マリ国内の混乱が世界有数のウラン鉱山を抱えるニジェールの不安定化をもたらす可能性は十分にあるわけで、今後の推移が注目されるのは言うまでもありません。

 なお、このあたりの事情については、拙著『マリ近現代史』でもご説明しておりますので、機会がありましたら、ぜひご覧いただけると幸いです。


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この記事のコメント
#2349 ティンタバラデン事件
はじめまして。東京四ツ谷の和さんです。

ニジェールについて勉強をしているものです。
講義の中で、
「ティン・タバラデン事件」を学び、
興味を持ったので、調べてみたら、
こちらにお邪魔することに・・・。
切手からみえる世界の歴史・今・昔。

またお邪魔します。
2014-08-31 Sun 19:37 | URL | 和恵 #fkxczLn.[ 内容変更] | ∧top | under∨
・和恵様
 レスが大変遅くなり、申し訳ございません。
 さて、このブログが多少なりともお役にたったようで嬉しいです。今後とも、これを機縁によろしくお付き合いください。
2014-09-27 Sat 20:50 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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