フィリピンのレイテ島で発生した大規模な地滑りは、死者65名・行方不明者1400名以上という大変な被害をもたらし、各国が緊急支援に乗り出しています。
レイテ島というと、僕などは太平洋戦争中の1944年10月に、マッカーサー“アイ・シャル・リターン”の公約を実現して再上陸した島というイメージが強いので、こんなカバー(封筒)を引っ張り出してきてしまいます。
このカバー(画像はクリックで拡大されます)は、1945年1月19日、米軍が再上陸を果たし、レイテ島を解放して郵便業務が再開されたのを記念して作られたもので、米軍の支配地域で暫定的に使われていた“VICTORY”加刷の切手が貼られています。カバーの中央より左上のところに押されている紫色の印は、そうした事情を説明するためのものです。
このカバーはレイテ島最大の都市タクロバンからマニラ宛のものですが、戦火の中、よくもまぁこんな記念カバーを作るだけの根性があったものだと関心してしまいます。
昭和の戦争についてのコレクションを作っている僕としては、いつかはレイテを訪れて、マッカーサーの上陸地点などの戦跡を訪ねてみたいと常々思っていました。それだけに、マッカーサーが上陸したパロは被害を免れたとはいえ、島全体に大きなダメージを与えた地滑りのニュースを聞くと、非常に心が痛むところです。
一日も早い復興をお祈りしております。