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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 泰国郵便学(20)
2012-06-27 Wed 08:19
  財団法人・日本タイ協会発行の『タイ国情報』第46巻第3号ができあがりました。僕の連載「泰国郵便学」では、今回は1959年にサリット政権が成立した当初の話題を取り上げました。その中から、きょうはこの切手をご紹介します。(画像はクリックで拡大されます)

        タイ・世界難民年

 これは、1960年4月に発行された世界難民年のキャンペーン切手です。
 
 世界難民年とは、英国の提案により、1958年12月5日の国連総会で採択された国際年(特定の事項に対して特に重点的問題解決を全世界の団体・個人に呼びかけるための期間)で、1959年6月28日から1年間の期間で設定されました。

 英国の認識としては、第2次大戦の終結から15年が過ぎようとしつつある中で、依然として、ナチス・ドイツの迫害を受けたユダヤ系を中心に、大戦によって発生した多くの難民がキャンプでの生活を続けている状況を解決しようというのが、難民年の最大の目的でした。それゆえ、「キャンプを空にしよう」とのスローガンが掲げられて各種の運動が展開され、1960年末までに欧州の難民キャンプはすべて閉鎖されます。

 もっとも、今回ご紹介の切手発行時のタイにとっての難民問題とは、ユダヤ系難民の問題ではなく、北部国境付近につくられた中国・雲南省出身者の難民村でした。

 1949年10月1日、中国大陸では中華人民共和国の成立が宣言されます。これと前後して、国民政府(国府)は南京から広州、重慶へと順次移転し、最終的に、同年12月4日、台北を臨時首都とすることを決議しました。

 ところが、雲南省一帯で人民解放軍と戦っていた国府第27集団軍隷下の“第93軍”は台湾へ逃れることができず、国境を越えてビルマ領内に逃亡し、ここを拠点に中共に対するゲリラ戦を展開することになりました。ちなみに、雲南省の省都・昆明への人民解放軍の入場は1949年12月9日で、彼らは1950年2月24日までに雲南省全域を掌握しています。

 当初、ビルマ政府は“第93軍”の活動を黙認していましたが、彼らが国内の少数民族の反政府勢力と連携していることが判明すると態度を硬化させ、台湾政府による“領土侵犯”を国連に提訴。この結果、国府軍とその関係者のうち、1953年から54年にかけて約6500名が、1961年には約4500名が輸送機で台湾へと引き揚げました。

 しかし、これは“第93軍”のごく一部でしかなく、その多くは、さらに国境を越えてタイ北部の山中に逃げ込み、メーサロンをはじめ大小合わせて64ヵ所の難民村を樹立します。タイ領内に逃れた“難民”の数は6万人にも上ったそうです。

 第93軍は麻薬取引などで資金を得ながら、大陸反抗の機会をうかがいつつ軍事訓練を行っていたため、サリット政権は、建前としては、国府軍をタイに入国させず、タイ領内にいる国民党軍は速やかに出国させるとの方針を掲げていましたが、実際には彼らの活動をほぼ黙認していました。中国との間にシップソーンパンナー問題を抱え、西側陣営の一員として反共の防波堤であることを外交政策の基本に据えていたタイにとって、国府軍ゲリラ部隊の存在は、一定の利用価値があったからです。

 ちなみに、タイ政府が国内に居座っていた第93軍の取扱に対して、台湾政府と具体的な外交交渉を開始したのは1968年のことで、交渉の結果、第93軍はタイ国内の共産ゲリラ討伐のためタイ国軍に協力することでタイ国内にとどまる道を選ぶことになります。

 1958-59年の世界難民年の時期は、まさに、そうした第93軍の“難民”問題が浮上してきた時期と重なっており、切手を手にしたタイ国民も、ユダヤ系難民ではなく、国府軍の残党のことを連想する場合が多かったのではないかと思われる。
 
 そうしたなかで、“難民年”の切手の題材としてワット・アルンが取り上げられた背景には、王室ともゆかりの深い寺院を難民問題と結びつけることで、弱者に対する王室と仏教の仁慈を強調する意図が込められていたと解釈できます。

 今回ご紹介の切手を発行したサリット政権は、タイの民主主義は国王を元首とした民主主義であると規定し、ラーマ6世の唱えた民族・宗教・国王の3原則(ラック・タイ)を国家イデオロギーの中核に据えていました。立憲革命以降、政治の中枢にあったピブーンソンクラーム(ピブーン)が国王の権威を抑え込むことによって自らの権力基盤を確立していった以上、“革命”によってピブーンを追放して権力を掌握したサリットが、国王の威信を回復することに自らの存在意義を求めるのは自然なことでした。

 今回の記事では、民族の繁栄と仏教と王室の繁栄を通じて実現されるとする“ラック・タイ”のロジックを表現しようとするうえで、ワット・アルンが重要なシンボルとなっていたことをいくつかの実例を挙げつつご説明しております。機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。

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