2006-01-25 Wed 15:46
今日(1月25日)は初天神で、湯島天神では鷽替えの神事が行われる日です。まぁ、受験シーズンということでもありますから、今日はこんな1枚を取り上げてみました。
![]() この切手は、1966年に国立劇場がオープンした時に発行された記念切手の1枚で、初代歌川豊国の作品のうち『菅原伝授手習鑑』の吉田社頭車引の場面を描いた浮世絵が取り上げられています。 『菅原伝授手習鑑』は、1746年(延享3)、竹田出雲らによって、もともとは人形浄瑠璃のために書き下ろされた作品で、浄瑠璃の初演から2ヶ月後、歌舞伎に取り上げられました。内容は、菅原道真にまつわる民間説話を織り交ぜて脚色したもので、全五段構成の長大なものです。このため、完全な通し上演は幕末以来行われず、「車引き」「寺子屋」などの場面が単独で上演されていましたが、国立劇場杮落としの特別講演として、1966年11・12月の2ヶ月間、およそ100年ぶりに通し上演が行われています。 切手に取り上げられている「車引き」の場面は、以下のような内容です。 物語の主人公である菅丞相(菅原道真)が、藤原時平の讒言により、筑紫に流されたことから、舎人の梅王丸と桜丸の兄弟は、たまたま吉田神社で時平の車に出遭ったのを幸いに、主君の恨みを晴らそうと車の前に立ちはだかり、はからずも兄弟でありながら時平の舎人になっていた松王丸と車を引き合って激しく争いました。ところが、車の中から時平が立ち上がると、その威容に圧倒された梅王丸と桜丸は体がすくんでしまい、無念のうちにその場を立ち去らざるを得なくなってしまいました。 切手に取り上げられた豊国の浮世絵では、車の上に立ち上がる時平と彼を守護する松王丸、時平に手向かう桜丸(手前)と梅王丸(後方)という構図になっています。 ところで、へそ曲がりの僕は、大学受験のとき、いわゆる天満宮やそのお守りの類を敬遠していました。 こんなことをいうと、またもや内藤は日本人のDNAが少ないといわれてしまいそうですが、菅原道真という人は権力争いに敗れて左遷され、失意の内に亡くなった人物です。伝えられているエピソードでは、晩年の彼は、自分の名誉回復のために積極的なアクションを起こすわけでもなく、また、新たな任地で自分に与えられた仕事に全身全霊をかけて打ち込み、そのことで名を残すといった前向きなことは何もせず、ただただ鬱々として無為に日々を過ごしていただけ、といったような印象しかありません。おなじく、罪を得て宮刑に処せられた司馬遷が逆境をばねに『史記』を完成させたのと比べると、人間としての度量があまりにも小さいといったらいいすぎでしょうか。 受験を一つの勝負事と考えるのなら、権力闘争に負けた後、めそめそしながら死んでいった人物がはたして、勝利をもたらしてくれる神様としてふさわしいのかどうか…。少なくとも、今日の切手に取り上げられている時平の姿は、目の前の敵を撃退している勇ましいものですから、次から次へとやってくる試験問題を片付けていくという点では、よっぽどご利益があるような気がします。 さて、昨日の記事でも少し書きましたが、2001年から<解説・戦後記念切手>シリーズと題して、戦後日本の記念・特殊切手の“読む事典”を作っています。現在は、昨年4月に刊行したシリーズ第3作の『切手バブルの時代 1961-1966』に続いて、封書料金15円時代の1966~1971年を中心にしたシリーズ第4作を制作中です。受験シーズンの間には、原稿を仕上げてしまわないといけないのですが、さてさて、どうなることやら。 ときどき、ふと、やりかけの仕事を放擲して大宰府まで逃げてしまおうかなどと弱気の虫が頭をもたげる今日この頃です。 |
でも、その藤原時平も、程なく死んでしまうんですよねえ。相手を陥れたらそのしっぺ返しを食らう、これは小生が信じる世の中の法則です。いつの日か、ホリエモンのこの一件も、何らかの形で芝居にならないものでしょうか?
大津太孝様
コメントありがとうございます。結局、受験にたとえると、 道真パターン:第一志望校に不合格で不本意な学校に入学し、卒業後も学歴コンプレックスの塊になる。 時平パターン:卑劣な手段でライバルを蹴落として入学するも、結局は卒業できずに終わる と言った感じでしょうか。どっちにしても、あんまり受験生にとっちゃ、うれしくないパターンですよね。本文では、陰気な道真に比べれば、ちょっとはましかも、という感じで書いてみたんですが、ちょっと時平を褒めすぎたかも…。 くどいようですが、捲土重来を期する浪人生だったら、同じ学者でも、打たれ弱い道真なんかにすがるよりも、司馬遷の胆力を見習ったほうがいいと思うんだけどなぁ。 |
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