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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 切手に描かれたソウル:蚕室総合運動場
2011-07-25 Mon 23:53
 ご報告が遅くなりましたが、『東洋経済日報』7月22日号ができあがりました。僕の連載「切手に描かれたソウル」では、今回は蚕室総合運動場を取り上げましたが、きょうはその中からこの切手です。(画像はクリックで拡大されます)

        蚕室総合運動場

 これは、1986年に韓国が発行した“アジア競技大会成功”の記念切手で、蚕室総合運動場での大会の模様が取り上げられています。

 蚕室総合運動場は、1988年のソウル五輪のメイン・スタジアムとして使われ、“オリンピック・スタジアム”とも呼ばれていることから、ソウル五輪のために建設されたものと思われがちですが、運動場の建設が始まった1977時点では、ソウルでの五輪開催が実現すると考えていた韓国国民は、ほとんどいなかったのではないかと思われます。

 むしろ、1975年完成の汝矣島の国会議事堂や1978年完成の総合展示場としてのKOEX(現COEX)などと同様、“漢江の奇跡”を踏まえたソウルの大規模再開発の一環として、それまでの東大門運動場に代わる大型屋外競技場として企画・建設されたと見る方が妥当でしょう。

 蚕室総合運動場の設計を担当した金壽根は、1931年、現在は北朝鮮領内にある清津の出身で、解放後、ソウル大学に進学したものの、韓国戦争で中退を余儀なくされ、日本に渡って東京芸術大学、東京大学で学びました。東大修士課程の院政だった1959年には国会議事堂建設設計のコンペに当選しましたが、1961年の“5・16革命”で計画そのものが流れてしまったため、彼の設計した議事堂が日の目を見ることはありませんでした。

 1961年の帰国後は、金壽根建築研究所(現・空間社) を創設。以後、1986年に亡くなるまで、韓国の現代建築を代表する建築家として活躍しましたが、蚕室総合運動場の建設が始まる前年の1976年には韓国文化勲章を受賞しています。

 総合運動場の建設が進められていた1980年に発足した全斗煥政権は、1979年の朴正熙暗殺以来の政治的・社会的混乱と、それに伴う経済の低迷を一挙に解決するための秘策として、1988年のソウル五輪招致に心血を注ぎ、その結果、1981年9月30日に西ドイツ(当時)のバーデンバーデンで開催されたIOC総会では、決戦投票の末、52対27でソウルが最有力候補と目されていた名古屋を下して五輪の開催地となり、建設中だった運動場がオリンピックのメイン・スタジアムとして使われることになったのです。

 運動場の完成は1984年のことで、9月30日にはそのこけら落としのイベントとしてサッカーの日韓戦が行われています。その後、運動場は、1986年にアジア競技大会で使われ、1988年のソウル五輪では陸上競技とサッカー決勝、馬術競技個人障害馬術決勝の会場となりました。
 

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