2006-01-12 Thu 23:27
昨日の記事で、少しアフガニスタンのことも触れたのですが、現在、東京・目白の“切手の博物館”で開催中の<中近東切手コレクション>展では、赤須通範さんのアフガニスタン切手のコレクションも展示されています。 赤須さんのアフガニスタンのコレクションは知る人ぞ知る有名なコレクションで、今回は、その膨大なストックの中から、1884年の国内統一以降、王制時代までのアフガニスタン切手の全体像が通観できるような抜粋展示が行われています。 現在でも状況は大して変わっていないのですが、もともと、アフガニスタンという国は地方割拠の性格が強く、中央政府の威令は首都のカブール(カーブール)周辺にしか行き届いていないことのほうが多いようです。このため、1871年に発行されたアフガニスタン最初の切手は、国名の表示が“アフガニスタン”ではなく、“カーブール王国”となっています。 こうした状況が改善され、曲がりなりにもアフガニスタンの国内統一が実現されるのは、皮肉にも、1878年の(第2次)アングロ・アフガン戦争でアフガニスタンがイギリスの保護領となってからのことです。この時期、イギリスはアフガニスタン征圧のために大規模な部隊を送っていましたが、現地の激しい抵抗に会い、1881年までには、いったん、アフガニスタンを撤退せざるを得なくなっています。 このため、イギリスはアフガニスタン政策を全面的に見直し、カーブールの君主であったアブドゥル・ラフマーンを支援して中央集権化を後押しして、アフガニスタンをロシアに対する干渉国として育成することに決めます。ちなみに、イギリスの支援を受けたアブドゥル・ラフマーンによるアフガニスタンの国内統一は1884年、“アフガニスタン王国”の表示が入った最初の切手が発行されたのは1891年、英領インドとの境界が画定するのは1893年のことでした。ちなみに、画像の切手は1892年に発行された“アフガニスタン”表示の初期の切手です。 以上のようなことを予備知識として頭に入れていただいた上で、<中近東切手コレクション>展の赤須コレクションをご覧いただければ、展示をよりいっそうお楽しみいただけるものと思われます。 つきましては、<中近東切手コレクション展>に一人でも多くの皆様がご来場いただきますよう、心よりお待ち申しております。なお、会場では、会期中の14・15日(土・日)の両日、14:00~と15:30~の2回、僕が展示解説を行いますので、是非、遊びに来ていただけると幸いです。 *<中近東切手コレクション展>の詳細については、http://yushu.or.jp/museum/toku/をご覧ください。 |
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