2009-03-30 Mon 16:55
きのう(28日)、任期満了に伴う千葉知事選挙の投票が行われ、森田健作候補が初当選を果たしました。というわけで、きょうは“千葉”にちなむこんな1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1973年12月に発行の1974年用の年賀切手で、千葉県千葉市にある千葉寺)の梅竹透釣灯籠が取り上げられています。 千葉寺は千葉市最古の寺で、709年、行基により開山され、聖武天皇 の勅諚により海照山(現・海上山)千葉寺と称するようになったといわれています。なお、“千葉“という地名の由来については諸説ありますが、この寺にちなむという説もあるようです。 切手に取り上げられた梅竹透釣灯籠は、1910年1月11日、畑野勇治郎が千葉寺村の竹藪を堀り崩していたところ、深さ2メートルの地中から発掘した六角形の青銅製の灯籠です。 灯籠の大きさは、総高31センチ、台座の径30センチ。下野・佐野郡天明でつくられた“天明鋳物”の逸品で、火袋の部分は5枚の羽目板と1枚の戸扉で覆われており、1枚の扉を除いて、他はすべて一鋳されています。扉とその右側の羽目板2枚は竹に筍をあしらった文様が、他の羽目板には梅が咲き乱れた文様が透鋳で造られており、これが名前の由来となりました。 また、笠の部分には「下総国千葉之庄、池田之郷千葉寺、愛染堂之灯爐、太旦主牛尾兵部少輔、天文十九年戊庚七月廿八日」との銘があり、鎌倉・室町時代の千葉の様子を記録した『千学集抜粋』の記述などから、戦国の武将・牛尾兵部少輔が1550年に、自分の息子が修行していた千葉寺愛染堂に奉納したものと推定されています。 美術的・史料的に重要なものとして、国の重要文化財に指定され、現在は東京国立博物館に保管されていますが、そのレプリカが千葉城跡の千葉市立郷土博物館に展示されているそうです。 なお、この切手を含む昭和の年賀切手については、拙著『年賀切手』で詳しく解説しておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 誰もが知ってる“お年玉”切手の誰も知らない人間ドラマ 好評発売中! 『年賀切手』 日本郵趣出版 本体定価 2500円(税込) 年賀状の末等賞品、年賀お年玉小型シートは、誰もが一度は手に取ったことがある切手。郷土玩具でおなじみの図案を見れば、切手が発行された年の出来事が懐かしく思い出される。今年は戦後の年賀切手発行60年。還暦を迎えた国民的切手をめぐる波乱万丈のモノ語り。戦後記念切手の“読む事典”<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として好評発売中! 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。 |
#1417 年賀といわれても
出ました。水仙と並ぶ理由の解らない切手ですね。
#1421 コメントありがとうございます
一匹狼様
どうやら、郵政省の発想では、梅と竹がおめでたいデザイン、ということのようです。 #2246 承認待ちコメント
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