2009-03-01 Sun 15:54
1919年のいわゆる3・1独立運動から、きょうでちょうど90年です。というわけで、今日はこの切手を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1982年10月8日に韓国で発行された100ウォンの通常切手で、3・1独立運動に参加し、翌1920年、16歳で獄死した柳寛順が描かれています。 柳は、1902年に忠清南道天安郡(現・天安市)龍頭里で生まれたといわれています。父の重権は開明的な人物ではあったものの、私塾の経営に失敗して多額の借金を抱え、貧しい家庭に育ちました。1916年頃、アメリカ人女性宣教師アリス・シャープの援助によって京城の梨花学堂に給費生として入学。1919年に3・1運動が起こり、梨花学堂が休校になると、故郷の天安に帰りましたが、万歳デモに参加したことで逮捕されました。ちなみに、切手の元になった肖像写真は、逮捕後、警察署で撮影されたものです。 さて、逮捕後、彼女はソウルの西大門刑務所に移送され、1919年6月30日、懲役2年6ヶ月の判決を受けています。なお、現在の韓国の歴史教科書では、彼女は天安でのデモの先導者であり、並川市場では日本憲兵隊の集会中止命令を無視して群集に独立運動の演説を行ったということになっていますが、判決文にはそうした記述はありません。 また、韓国の教科書によると、柳は控訴審裁判で裁判長と言い争いになり、裁判所の椅子を裁判長に投げつけるという事件を起し、法廷冒涜罪が追加されたことになっていますが、記録によれば、そもそも彼女は控訴せずに西大門刑務所に服役したことになっており、この武勇伝の真偽もかなり怪しげです。 さらに、韓国の教科書では、彼女は服役後も大規模獄中デモを主導したことになっていますが、そもそも、そうしたことが可能であったのでしょうか。その後、1920年10月12日、彼女は獄死するわけですが、その死因に関して、韓国の教科書では“デモ現場で負った傷と凄まじい拷問が原因”と説明しています。まぁ、拷問を受けたということはありそうな話でしょうけれど、彼女がいまわの際に「大韓独立万歳」と叫んだという伝説は、だれがその言葉を聞いたのか、これまた不明です。 現在、柳は若くして獄死した女性独立運動家というイメージから“朝鮮のジャンヌ・ダルク”として韓国では神聖視されていますが、彼女に関するエピソードの多くは客観的な事実関係とは合致しないものも少なくないようです。じっさい、柳の出身地にある天安大学の柳寛順研究所・客員研究員であった任明淳氏は、彼女に関する精緻な調査を行い、韓国内で広く流布している柳の“神話”には、日本の蛮行を糾弾する目的で誇張・捏造された部分が少なからずあり、彼女についての事実が正確に伝えられていないとの報告も発表しています。 ちなみに、今回ご紹介の切手と同じ日に安重根を描く200ウォン切手も発行されていますが、それらが発行された背景などについては、拙著『韓国現代史:切手でたどる60年』でもまとめておりますので、機会がありましたら、ぜひ、ご覧いただけると幸いです。 * きのう(28日)、カウンターが48万PVを越えました。いつも遊びに来ていただいている皆様には、この場をお借りしてお礼申し上げます。 ★★★ 内藤陽介の最新刊 ★★★ 誰もが知ってる“お年玉”切手の誰も知らない人間ドラマ 好評発売中! 『年賀切手』 日本郵趣出版 本体定価 2500円(税込) 年賀状の末等賞品、年賀お年玉小型シートは、誰もが一度は手に取ったことがある切手。郷土玩具でおなじみの図案を見れば、切手が発行された年の出来事が懐かしく思い出される。今年は戦後の年賀切手発行60年。還暦を迎えた国民的切手をめぐる波乱万丈のモノ語り。戦後記念切手の“読む事典”<解説・戦後記念切手>シリーズの別冊として好評発売中! 1月15日付『夕刊フジ』の「ぴいぷる」欄に『年賀切手』の著者インタビュー(右上の画像:山内和彦さん撮影)が掲載されました。記事はこちらでお読みいただけます。 もう一度切手を集めてみたくなったら 雑誌『郵趣』の2008年4月号は、大人になった元切手少年たちのための切手収集再入門の特集号です。発行元の日本郵趣協会にご請求いただければ、在庫がある限り、無料でサンプルをお送りしております。くわしくはこちらをクリックしてください。 |
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