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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 これから return
2008-07-01 Tue 13:51
 早いもので、ルーマニア滞在も最後の日になりました。EFIROのコミッショナー、佐藤浩一さんをはじめ、現地でお世話になった皆様には、あらためてお礼申し上げます。今日は、午後の早い便でブカレストを発ち、ロンドン経由で明日のお昼頃、成田に到着する予定です。“香港返還”の記念日に、香港ネタの作品を持って日本に帰るというのも、なにかの因縁でしょう。というわけで、こんな1枚を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 ルーマニア・香港切手展

 これは、香港返還の年(1997年)の1月に香港で行われた切手展<HONG KONG’97>に際してルーマニアが発行した記念切手で、小平とサッチャーの返還交渉の写真が切手として取り上げられています。

 新界地区の租借期限が切れる1997年7月以降の香港の地位に関する英中間の本格的な交渉は、1982年9月、イギリス首相のマーガレット・サッチャーが中国を訪問することで始まりました。

 当初、イギリス外務省は、1997年以降、イギリスの香港支配を続けることは事実上不可能で、香港の主権を中国に返還せざるを得ないとサッチャーに進言していました。共産中国の成立以来、中国は香港の現状維持を追認しており、そのことは結果として英中両国に利益をもたらしてきましたが、その大前提として、香港の主権が中国側にあるという建前は最大限尊重されなければならないという、中国側の面子の問題がありました。1997年以降、(実態はともかく建前としては)香港の主権を中国に返還すべきというイギリス外務省の判断も、こうした過去の経緯を踏まえたものだったわけです。

 ところが、サッチャーはこうした経緯を全く理解しようとしませんでした。当時の彼女は、フォークランド戦争に勝利を収め、“鉄の女”としてイギリス経済を立て直しつつあるという自信に満ちており、香港問題でも強硬姿勢を貫けば中国は譲歩するはずだと思い込んでいました。このため、彼女は香港島と九龍市街地はイギリス領であると声高に主張し続けます。

 ところが、サッチャーの強硬姿勢は中国側の態度を硬化させただけで、小平も「もし中国が1984年末までに香港の主権問題で合意しなければ、中国政府は独自の解決を宣言する」と応じることになります。

 もっとも、中国にしても、建国以来の基本方針として、香港を“外国”として維持したいというのが本音でしたから、仮にイギリスが、外務省の方針通り、香港の一括返還を中国に申し入れていたら、中国はそれを受け入れざるを得ず、かえって苦しい立場に追い込まれたものと考えられます。その意味でも、サッチャーの強硬姿勢は小平にとって好都合でした。中国は、あくまでもイギリスの要求に配慮するという建前の下に、香港の“現状維持”という果実を勝ち取ることが可能になったからです。

 結局、1983年3月、サッチャーは趙紫陽(中国首相)宛の書簡で「妥当な解決策が見出せれば、香港の主権の委譲を議会に提案する」と表明せざるを得なくなりますが、イギリス側は香港の行政権には固執するなどの抵抗を続け、中英交渉は難航しました。

 こうした状況の下で、1983年9月、香港ではブラック・サタデーと呼ばれる株式・金融市場の大暴落が発生。事態を収拾する必要に迫られた香港政庁は、ニクソンショック以来の変動相場制を放棄し、香港ドルを米ドルにリンクさせるペッグ制を導入せざるを得なくなりました。一方、中国側もこのときの香港ドルの暴落で11億米ドルもの外貨を一瞬にして失ったといわれています。

 こうして、返還交渉がこれ以上長引くことは、香港の安定と繁栄を損ない、英中両国のどちらにとっても利益とはならないことは誰の目にも明らかとなったことから、1983年10月、結局、サッチャーもついに香港の行政権返還に事実上同意。以後、交渉は中国ペースで急速に進展し、1984年9月26日、北京での「香港の将来に関する大ブリテン及び北アイルランド連合王国政府と中華人民共和国政府の協定草案」の仮調印を経て、12月19日、香港返還に関する英中共同宣言が正式に調印されました。この共同宣言によって、英領香港は1997年7月1日をもって中国に一括返還されることが決定。以後、香港は“中国香港”となり、中華人民共和国の特別行政区として、50年間(2047年6月30日まで)、英領時代の社会・経済制度が維持されることとされたのは、周知のとおりです。

 なお、香港返還をめぐる英中間の様々な駆け引きについては、ちょうど1年前に刊行の拙著『香港歴史漫郵記』でも解説していますので、機会がありましたら、ご一読いただけると幸いです。

 お知らせ
 本日・7月1日付で福村出版から刊行の『韓国現代史:切手でたどる60年』は、すでに本として出来上がっており、販売もされているようですが、いかんせん、僕自身はルーマニア滞在中で実物を確認できませんので、詳細は明日・7月2日に帰国した後で、ご案内します。

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