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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 フォークランド紛争25周年
2007-06-14 Thu 09:17
 1982年4月2日、アルゼンチン軍がフォークランド諸島に上陸しこれを占領したことで始まったフォークランド紛争は、同年6月14日、イギリス陸軍部隊がポート・スタンレーを包囲し、フォークランド諸島のアルゼンチン軍が降伏したことで終結しました。というわけで、今日はフォークランド紛争終結25周年にあたるので、こんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

フォークランド戦争記念カバー

 これは、フォークランド紛争の勝利を記念してイギリスで作られたカバーで、イギリスのリネハム空軍基地からアフリカのダカール、アセンション島を経てフォークランドのポート・スタンレーのイギリス野戦局まで運ばれています。カバーの余白にフォークランド諸島の地図とイギリスの軍艦が印刷されているのが、いかにも、といった感じです。

 切手の左横にはアセンション島を示す赤いスタンプが押されていますが、同島には、アメリカ陸軍の工兵隊により、第二次世界大戦中に飛行場が造成されています。この飛行場は、アメリカ大陸とアフリカ大陸の給油地点として、また、フォークランド諸島への連絡基地として重要で、フォークランド紛争の際にはイギリス軍の拠点となりました。

 カバーがリネハムの空軍基地を出発したのは、紛争の終結後間もない6月23日のことでしたが、しばらくアセンションで足止めされ、8月8日になって、ようやく、ポート・スタンレーまで届けられています。おそらく、紛争が終わったとは言っても、状況がある程度落ち着くまでは、この手の記念カバーを受け入れる余裕が現場の野戦局にはなかったのでしょう。

 フォークランド紛争での勝利によって、経済の低迷から支持低下に悩まされていたサッチャー政権は支持率を劇的に上昇させ、国内の権力基盤を磐石のものとすることに成功します。その余勢をかって、サッチャー政権は、中国との香港返還交渉に関しても、強硬姿勢を貫けば中国は譲歩するはずだと考え、香港島と九龍市街地はイギリス領であると声高に主張し続けました。しかし、こうした強硬姿勢は、かえって、香港に対する中国の主権さえ認めれば、香港の現状維持を容認してもよいと考えていた中国側の強い反発を招くことになり、香港からのイギリスの全面撤退という結果を招くことになってしまいました。

 このあたりの事情については、今月末には書店の店頭に並ぶはずの『香港歴史漫郵記』でもご説明しておりますので、刊行の暁にはご一読いただけると幸いです。
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この記事のコメント
#721 野戦局の記念カバー
 ちょっとのんびりした印象もありますね。そういえば、日本の在中国野戦局も風景印を作っていたようですが、なぜでしょうね。
2007-06-14 Thu 21:44 | URL | muraki #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
#728 経緯線入りの地図
 アセンション島の地図の赤いスタンプがすぐ目にとまってしまいましたが,単に島の形態だけを描いた地図よりも,このように経緯線を示した地図は地理的位置が把握できるという点では価値があるとあらためて思います。逆にカシェのフォークランドの地図には経緯線が示されていないのが残念です,
2007-06-15 Fri 22:35 | URL | mapstampfan #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
 皆様、コメントありがとうございます。

・muraki様
 日本軍の野戦局の風景印は、基本的に戦争プロパフガンダの一環として作られたものです。

・mapstampfan様
 やはり、アセンションは野戦局で作った印、カシェのフォークランドは民間のデザイナーが作ったモノ、ということで、官民の意識の差が出たということなんでしょうかね。
2007-06-16 Sat 09:59 | URL | 内藤陽介 #-[ 内容変更] | ∧top | under∨
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