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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 歓迎は強要できない
2008-04-08 Tue 23:18
 先月24日にアテネからスタートした北京オリンピックの聖火リレーは、世界各地で中国政府のチベットに対する弾圧への抗議を受けています。中国側は各地の“妨害“行動にいら立ちを隠せないようですが、こんな風に歓呼の人波で迎えられると思っていたんでしょうかねぇ。(画像はクリックで拡大されます)

 康蔵・青蔵公路

 これは、1956年に中国が発行した康蔵・青蔵公路開通の記念切手で、毛沢東の肖像を掲げた車を歓迎するチベットの人々という、いかにもプロパガンダ臭の強いデザインが取り上げられています。

 康蔵公路は四川省の西康からカムを経てラサに至る全長2413kmの道路。一方の青蔵公路は青海省の蘭州から西寧経由でラサに至る全長1965kmの道路で、いずれも1954年に貫通しました。道路の建設に際しては、中国から膨大な数の政治犯が送り込まれるとともに、地元チベットの労働者が動員され、現在の中国側の公式発表でも、1キロにつき1人の犠牲者が出たとされるほどの過酷な労働に従事させられました。

 中華人民共和国の建国当初、中国中央政府の交通網はチベットまで伸びておらず、このため、中共政府としては、新たに“平和解放”したチベットを統制するためにも、中央直結の交通網を確保することは急務だったといえます。

 もっとも、“平和解放”に際して結ばれた「中央人民政府とチベット地方政府のチベット平和解放に関する協定」(いわゆる17条協定)では、中国政府はチベットの自治を尊重するという建前でしたから、中国側は両公路や同時期の飛行場建設を“チベット人の利益にのみ利用される”と発表していました。しかし、現実には、完成した公路や飛行場は、チベット人の利益のためというよりも、チベットに駐屯している中国兵のための物資補給に用いられ、北京政府によるチベット支配と同化圧力は強化されていきました。実際、公路完成後の1955年には、北京政府はチベット政府に代わる「西蔵自治区準備委員会」の設立を提案 。この切手が発行された1956年には同委員会を公式に発足させ、チベットの自治を大幅に制限する方向へ舵を切っています。

 したがって、この切手に見られる中国からの自動車を歓迎するチベットの人々という構図は、北京政府にとってあるべき姿だったかもしれませんが、すでに当時の段階でも、虚構のプロパガンダの中にしか存在していなかったといったら言い過ぎでしょうか。

 そもそも、オリンピックの聖火リレーというのは、ベルリン・オリンピックの時にナチス・ドイツが東欧・バルカンへの侵略経路の調査も兼ねて行ったというのが始まりですからねぇ。国内では言論の自由を封じ込め、チベットやウィグル、モンゴルなど、周辺諸民族を抑圧し続けている中国共産党政府とは相性がいいイベントというのもわからないことではありません。まぁ、人民解放軍がロンドンやパリ、サンフランシスコまで攻め込んでいくということはないでしょうが、心配性の僕なんかは、我が国がのんきに長野での聖火リレーを受け入れてしまったことに一抹の不安を感じてしまいます。

 いずれにせよ、中国がチベット政策を根本的に改めない限り、北京オリンピックの聖火が、この切手に描かれているような歓迎を世界各地で受けることはありえないでしょうな。ちなみに、明後日(10日)、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世はアメリカに向かう飛行機の乗り換えのため、日本に数時間だけ立ち寄るのだそうですが、こちらの方こそ、本来はもっと歓迎されるべきではないかと僕なんかは思ってしまいます。

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