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内藤陽介 Yosuke NAITO
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 ラタナコーシン王朝記念日
2008-04-06 Sun 18:25
 今日(4月6日)は、タイでは現在のラタナコーシン王朝(チャクリー王朝とも)の創立記念日で祝日です。というわけで、今日はこの切手を持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)

 王朝150年(ラーマ1世+7世)

 これは、ラタナコーシン王朝150年を記念して1932年4月1日に発行された8種セットのうちの50サタン切手で、王朝の始祖であるラーマ1世と当時の国王であるラーマ7世が並べて描かれています。
 
 1925年に即位したラーマ7世の最大の課題は、先代のラーマ6世時代の放漫財政による財政赤字問題の解決でした。このため、国王は官吏の大規模な人員整理を行い、財政は一時的に好転しましたが、1929年に世界恐慌が起こると、タイの輸出は激減し、タイ経済は壊滅的な打撃を受けてしまいます。

 一方、当時は世界的に共産主義勢力の拡大が問題視されていた時代で、国王は革命を防止するためにも、漸次国会開設の方針を打ち出し(当時のタイは絶対君主制で一般国民の参政権は認められていませんでした)、国民の政治参加の訓練を目的として、市制(地方自治制度)導入を検討していました。しかし、このとき範例の一つとされた日本の地方自治制度に関する文献(日本語)のタイ語への翻訳に時間がかかってしまい、結局、市制は実施されませんでした。また、国王は立憲君主制への移行措置として1927年に勅撰議員からなる枢密院委員会を創設。1932年3月には外相から提出させた憲法草案を修正のうえ、同年4月のバンコク建都150周年(今回の切手の題材であるラタナコーシン王朝150年とほぼ同義です)の記念式典をめどに公布しようとしていました。

 ところが、1932年4月4日から8日の日程で行われた“バンコク建都150年祭”では、国王は、国家を人体になぞらえ、王族と人民は“一身一体”であると演説しましたものの、肝心の参政権の付与については明言を避けざるをえませんでした。有力王族の強硬な反対があったためです。

 150年祭が終わると、タイ政府は財政再建を目的として、給与税(年600バーツ以上の給与所得者への累進課税)の導入を決定します。この結果、それまで、課税対象の国民が一挙に拡大。さらに、家屋土地税も導入する一方で、王族に支給される歳費は非課税のままであったことから、ついに国民の間でも参政権要求の声が高まり、同年6月24日、立憲革命が勃発することになるのです。

 なお、王朝150年を記念するものとしては、今回ご紹介の切手のほか、バンコクのラタナコーシン地区とトンブリー地区を結ぶラーマ1世橋(ラーマ1世像はそのたもとにあります)があります。この橋やトンブリー地区などについては、拙著『タイ三都周郵記』でいろいろとご説明しておりますので、よろしかったら、ぜひ、ご一読いただけると幸いです。

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