韓国の行政安全部(旧行政自治部)が24日、日本時代以来100年にわたって使われてきた従来の温泉マークにかわり、新しいマークを採用し、今後は温泉業以外の業者が使用した場合(いままでは温泉業だけでなく、宿泊業者や銭湯など区分なしに使われてきた)、2年以下の懲役または1000万ウォン以下の罰金が科すことにしたそうです。
というわけで、こんなモノを持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、日本統治時代の1931年11月8日、釜山郊外の東莱温泉局で使用された風景印です。
その土地の名所旧跡やゆかりの人物、特産品などをあしらった風景印は、日本本土では1931年7月10日から使用が開始されましたが、日本統治下での朝鮮では同年10月20日から使用開始となりました。最初の使用局は、今回ご紹介の東莱温泉の他、東莱、元山、朱乙、朱乙温泉、開城、慶州、仏国寺の各局で、京城(現・ソウル)での使用開始は同年11月1日です。
さて、東莱温泉は現在の韓国の行政区域でいう釜山広域市東莱区にある温泉で、高麗の僧侶である一然 が書いた『三国遺事』には、新羅31代新文王3年(683年)に宰相の忠元公が東莱温泉で沐浴をしたとの記述があります。また、これとは別に、千数百年前、東莱村の脚が不自由な老婆が、この温泉の場所にとまった鶴が脚の怪我を治したのを見て、ここに薬泉があることを発見したとの伝説も伝えられています。いずれにせよ、古来、王族が湯治に訪れていた温泉であることは間違いないようです。
ただし、前近代の朝鮮においては、温泉を愛好するという習慣はほとんどなく、東莱温泉についても、その本格的な開発は李氏朝鮮末期から日本統治時代にかけてのことで、観光地としての歴史は必ずしも古いものとはいえません。
今回ご紹介の風景印のデザインは、逓信省の発表では「南鮮の三大名刹の一、梵魚寺の山門と東莱温泉場」と説明されていますが、我々からすると、局名表示にしっかりと“温泉”の文字が入っており、いわゆる温泉マークも描かれているのが嬉しいところです。
ちなみに、この風景印では、温泉マークの周囲に桜と思しき花のシルエットが描かれていますが、実際の東莱温泉では、現在でも桜を見ながら露天風呂につかるということが可能なんでしょうかねぇ。もし、可能なら、一生に一度くらいは、そういう風流な体験をしてみたいものです。
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