2008-02-24 Sun 16:28
いわゆるロス疑惑で、日本で(殺人については)無罪が確定した三浦和義が、サイパンでアメリカ当局に逮捕されました。というわけで、今日はこんなモノを持ってきてみました。(画像はクリックで拡大されます)
これは、1941年11月に東京の日本橋からサイパン宛に差し出された郵便物ですが、1944年7月、日本側が玉砕した後、米軍に接収され、情報収集のために検閲されたものです。以前の記事でもご紹介しましたが、日本軍が各地で玉砕すると、米軍は亡くなった兵士などの遺品を回収して情報収集のために分析していますが、今回のカバーもそうしたものの一例です。封筒の真ん中あたりに円形の印がありますが、これが、米軍によって回収・検閲されたことを示すものです。 サイパン島に最初に上陸した欧米人はポルトガル人のマゼランですが、16世紀以降、サイパン島を含む北マリアナ諸島一帯はスペインの支配下に置かれます。そのスペインは、1898年に勃発した米西戦争で敗れ、衰退著しい中でドイツに北マリアナ諸島を売却しました。第1次大戦中の1914年、ドイツに宣戦布告した日本がドイツ領の南洋群島を占領。大戦後は、国際連盟による委任統治領という形式で北マリアナ諸島を支配しました。 日本時代、サイパンには南洋庁サイパン支庁が設けられていたほか、日本軍の司令部も置かれていました。このため、太平洋戦争中の1944年6月には、米軍を中心とする連合軍が上陸して激戦が展開され、日本側が玉砕したことは広く知られています。 その後、北マリアナ諸島は米軍の軍政下に置かれていましたが、1947年、国際連合によりアメリカの“太平洋諸島信託統治領ミクロネシア”の一部となります。そして、1986年11月3日 アメリカとの独自の交渉によりコモンウェルス規約を締結、レーガン大統領が北マリアナ諸島をコモンウェルスと宣言し、サイパン島のスペペがコモンウェルスとしての首都になりました。 コモンウェルスというのは、非常に単純化していうと、日本語で言う自治領とか保護領にほぼ相当するもので、アメリカの主権下でアメリカ大統領を国家元首とし、アメリカの法律の制限を受けるものの、自治政府による内政は認められているという立場になります。ただし、サイパン島の住民の場合、アメリカ大統領の選挙権はありません。その代わり、住民はアメリカの連邦税の納税義務を免除されているので、“代表なくして課税なし”といったところでしょうか。なお、軍事面では、アメリカが防衛権を持っています。 三浦和義逮捕のニュースで、“米自治領サイパン”という表現が散見されたのは、サイパンとアメリカの関係が上記のようなものであるためです。 ところで、この記事でコモンウェルスの説明を書いていたら、なんだか、日本のおかれている立場も結局はコモンウェルスみたいなものじゃないかという鬱々たる気分になってしまいました。まぁ、サイパンはかつて、日本の“絶対国防圏”の拠点として、戦争継続と日本本土の防衛のため、最低限確保しておかなければならない場所とされていましたからねぇ。「サイパンがコモンウェルスになっているということは、日本本土がコモンウェルス並みになっていても不思議はないのだ」といわれてしまえばそれまでなのですが…。 |
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