2008-01-20 Sun 11:45
国際試合で6年以上無敗だったレスリング女子55キロ級の吉田沙保里がアメリカのマルシー・バンデュセンにまさかの敗北を喫し、連勝記録が119で止まりました。というわけで、今日はレスリングがらみの切手ということで、この1枚を持ってきました。(画像はクリックで拡大されます)
![]() これは、1952年の“みちのく国体”の記念切手で、レスリングが取り上げられています。 “みちのく国体”は、宮城・福島・山形の南東北三県で開催されましたが、三県に分れての開催ということで、各県の調整には相当の苦労があったようです。特に、大会の主軸を担った宮城・福島の両県の間では互いの体面を保つために何度も協議が重ねられ、大会の華というべき陸上競技は宮城県で、開・閉会式は福島県で行うというかたちで妥協がはかられました。ちなみに、この切手に取り上げられたレスリングは宮城県の会場で行われ、同時に発行された切手の山岳競技は山形県の鳥海山を会場として行われたもので、ここでも、三県開催ならではの配慮がなされています。 ところで、“みちのく国体”が開かれる直前の1952年7月、フィンランドのヘルシンキで戦後初めて日本が参加したオリンピックが開催されました。このオリンピックでは、レスリング・バンタム級で中央大学の石井庄八が日本人として同大会唯一の金メダルを獲得。また、レスリングでは、他にフライ級の北野祐秀が銀メダルを獲得したほか、他の選手も全員6位入賞を果たす輝かしい成績を残し、敗戦に打ちひしがれていた日本国民に大きな夢と希望を与えました。 郵政省は、こうした日本レスリング陣の活躍を称える意味を込めて、今回の国体切手の題材にレスリングを取り上げたわけですが、その図案が、日本人選手(特に、金メダルを獲得した石井庄八)の姿ではなく、1936年のベルリン・オリンピックに際して撮影された外国人選手をもとに作成されていました。すなわち、攻めているのがエストニアのパルサル、首を床につけて抵抗しているのがドイツのホルンフィッシャーです。この2人は、日本ではほとんど無名の存在だったこともあり、切手のデザインが公表されると、レスリング関係者からは、なぜ、日本人選手の写真をもとに原画を構成しなかったのかとの不満の声があがっていました。 さらに、このことが大会終了後の11月8日、『毎日新聞』に取り上げられたことで、郵政省に対しては、レスリング関係者や切手収集家はもとより、一般社会からも轟々たる非難が浴びせられることになります。 すなわち、毎日新聞の記者に対して、日本体育協会(体協)顧問の春日弘が「あきらかに當局の失態だ。國体關係者として憤慨にたえない。レスリングを取り上げるなら當然石井選手を選ぶべきだ。寫眞としていいのがなければポーズしてもらつてうつせばよい。文化切手には日本文化の先覺者を選ぶのに國体切手にはなぜ日本選手をとらないのだろう」と不満をあらわにしているほか、日本アマチュア・レスリング協会理事の村山修も「この問題は國体ひいてはスポーツに對する官僚の認識不足を露呈したもので、切手というような國家的、國際的なものを單なる印刷技術とか奇麗さの點から考えるのは間違いではないか、少くとも今度の場合あらかじめ協會にも相談してもらいたかった」とコメントしています。 これに対して、郵政省の切手係長であった中村宗文は、「今回は横型切手を出す既定方針があつたので、ずいぶん色々な資料をさがしたが、横型には適當なのがなく、結局美しいフオームでわかりやすいという點からこれが採られたわけだ。いままでの國体切手にもハンマー投の外國選手を取入れたものがあり、よりよい切手を出すために廣く資料を求めるために外人選手が入つたので深い意味はない」と開き直っていますが、当然のことながら、このような郵政側の対応は、関係者の怒りや不満に対して火に油を注ぐ結果をもたらし、毎日新聞に記事が掲載された11月8日には、岸体育館(東京・御茶ノ水)で体協の臨時理事会が開かれ、この問題に対する体協の対応が協議されるほどでした。 もっとも、切手上に外国人選手を取り上げたことの是非はともかく、今回の切手がデザイン的には高く評価されたことも事実で、1954年になってから、イタリアのオリンピック委員会が主催して開催された国際スポーツ切手コンクール(1952年中に発行された切手が対象となった)でも、登山切手が“エミリオ・コミッティ杯(スポーツフィラ新聞社提供)”を、レスリング切手が“カルロ・ガリムベルティ牌(イタリア重量競技連盟提供)”を、それぞれ、授与されています。 当時、郵政省内に事務局を構えていた全日本郵趣連盟の週刊紙『切手』は、このことをトップ記事として報じています。記事では、メダルを手に満足げな表情を見せる郵務局長・松井一郎の写真を大きく取り上げられており、切手の発行時に寄せられた不評に対して、郵政側としては大いに溜飲をさげているようすがはっきりとうかがえるのが、ちょっと笑えるところです。 なお、この切手を含む1950年代の記念切手については、拙著『ビードロ・写楽の時代』で詳しく解説していますので、よろしかったら、ご一読いただけると幸いです。 <おしらせ> 1月26日(土)の14:00から、東京・水道橋の日本大学三崎町キャンパス法学部6号館1階 第6会議室(6号館入口を入ってすぐ左手の会議室)にて開催のメディア史研究会にて、「タイ・前期ピブーン政権とポスタル・メディア」と題してお話をします。内容は、拙著『タイ三都周郵記』の内容をベースに、日本との関係が濃密だった第2次大戦中のタイについて、切手や郵便物から読み解いてみるというものです。 メディア史研究会はまったく自由な研究会で、会員以外の方でも気楽にご参加いただけますので(もちろん、無料)、よろしかったら、ぜひ、遊びに来てください。 |
この記事のおかげで意外な発見ができました。
ありがとうございます。 記事の一部を参考に、当方のブログをまとめさせていただきました。↓ http://kiguchi.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-5031.html #1499 コメントありがとうございます
木口道場様
お役に立てたようでうれしいです。 これからもよろしくお付き合いください。 |
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